カテゴリー「本の感想」の記事

2014年3月16日 (日)

『開店休業』 吉本隆明 【追想・画 ハルノ宵子】

漫画家のハルノ宵子さんは、吉本さんの長女、多子(さわこ)さんだ。本書は、吉本さんが最晩年に唯一「書いた」食べ物にまつわる連載に、長女のハルノ宵子さんの解説(突っ込みかな)を入れながら一冊にまとめた本だ。ハルノ宵子さんの描いた絵を初めて見たのは、三浦つとむさんの本の挿絵だったと思う。当然、三浦さんも存命で、「試行」も出ていたはずだから、もう相当前だ。ハルノさんの「かいた」ものに接するのは、だから二度目。初めて読むその文章は、さっぱりした語り口で、両親に対する冷静な観察といい、ユーモラスな描写といいなかなかのもんである。年齢は僕より少しだけ上だけど、親の年齢も近く(僕の父と吉本さんはひとつちがい)、長子が実家で面倒みている点、昭和の半ばからどちらかというと集団になじまずに自営で食ってきた親だったことも、その食卓の変化も、どこか我が事のように感じられるところがあって、共感するところが多かった。全体にとても楽しいタッチで描かれていて、読んでいると吉本家に招かれて茶飲み話でもしているような感じがしてくる。

ただ、読み始めて最初の方でこらえられなくなったところがある。それは、「味の素」についてのエピソードの所だ。

 妹と私は「味の素」のことを父の “命の粉” と呼んでいた。なんでも東工大の先輩にあたる人が開発に携わったということで、発売当初から “信奉” していた。おひたしにもかける。揚げ物にもかける。梅干しなどまっ白の雪山のようになるまでかける(挿画は大げさではない。真実だ!)。食通と称される人達は「味の素」を味覚音痴になると毛嫌いするが、父は「これは純粋なうま味成分を抽出しただけだ」と、まったく耳を貸さなかった。私も「いくらなんでもかけ過ぎだよ! 甘い物好きだからって、梅干しに砂糖かけるヤツいないだろ?」と抗議したが、ある地方ではホントに梅干しに砂糖をかけていた。  甘い物好きが、砂糖壷を目の前にすると、つい指をつっ込んで舐めてしまうように、単に父は「味の素」が大好き!だったのだと思う・・・・・・そう思うことにした。(21ページ)

僕の父も味の素信奉者だった。父は子供の頃、十条、王子、巣鴨あたりが生活圏で、当時の五中から神戸高等商船大学に行った元船乗りで、船大工の父をもつ吉本さんと海とか下町育ちとかでなんとなくつながるものがあって、魚より肉が好きとか、揚げ物が好きとかもなんとなく一緒、食べものへの執着や、やせ形体型で、86,7歳まで生きて肺炎で亡くなったところまで似てる。家族で味の素を重宝していたのは父だけだったと思う。なぜだか分からないが、味の素は大正、昭和の男のものという気がする。父も、いろいろなものに味の素をかけていた。我が家では、料理でもなんでも父に一番の優先権があったから、父が味の素をかけたらみんなそれを食べることになる。吉本さんほど極端ではなかったが、晩年もちいさな瓶を常備して使っていて、今も誰も使わないまま残っている。この箇所からは、その味の素をかけてひとり食事する父の映像が強烈に甦ってくる。同時に、父や吉本さんの生きた時代を「こども」として生きた自分たちがまさにそこにいたその家族としての過去の風景、映像が、懐かしさや、しかしもう二度と戻れない欠落感とともにいっせいにふきだしてくる。今までふたをして奥にしまい込んできた自分の子供としての感情がむき出しにされると、小さい時に夜中に目が覚めて不安で仕方なくなり、泣きながら父や母の布団にもぐりこんでいった時と同じちっぽけな「こども」そのまま。父と母を送るときにはろくに出なかった涙があふれて止まらなくなかった。こどもの時のそうした体験のすべてが核として残ることで、自分は父となってもなんとなくやっていけてるのではないか。その家族の記憶を再生産しているだけなんじゃないかということにそうして気づかされる。ああ、死んでも自分は親に守られているんだなあと。

別のページで、こんなことをハルノさんは書いている。既に介護状況にあるご両親をつれて巣鴨の地蔵通り商店街にいったときのことだ。

 本当は私たち子供世代が、あと数えるほどしかない父・母との思い出を作りたかったのではないだろうか。もちろんその場でのじぃじやばぁばは楽しんでくれたが、翌日再び見えない歩けない閉塞的な日常に戻れば、昨日の記憶は消える。自由にならない身体をかかえた老人は、一日を生きるだけでへとへとに疲れる。日々重荷を忘却の川に捨てていく。
 でも確かに私たちはもらった。「老人銀座」の初夏の夕暮れの空気を忘れない。無理して時間をさいて “してあげた” つもりでも、最後まで子供は親からあたえられているのかもしれない。(55ページ)

僕も、いちど両親を会社の保養所につれていったことがある。とても喜んでもらったが、母が寝たきりになってからはそれもできなかった。喜んでもらったのは確かだが、確かにそれは何か喜んでもらえることをしたというこちらの記憶としてこそたびたび甦るけれど、当の両親はそれ以降、出かける事もかなわず、子供たちが出かけると犬と猫と家に取り残され、朝と夕方ヘルパーさんが訪れるだけの生活をひたすら送り続けたわけだ。ほんとうは、面倒を見ていたというより、面倒をみたという気持ちを残させてもらったような気がしてならない。

実体験から言えば、介護でまずやっかいなのは、食事と排泄の世話だ。これは、毎日確実に済まさなければならない。僕は結局親の排泄のめんどうはほとんどみなかった。それを前提にすると外で仕事ができなくなるだけではなく、遠距離、長時間の外出はできなくなる。親の陰部に向かい合うという困難もある。僕にはそっちの方がきつかった。「長男の嫁」が担当するというのもよくあるパターンだと思うが、僕の両親はそれをよしとせず、そのような状況になるとすぐ介護業者を頼んだ。母は、自分たちも、自分の父母の介護は(結果として)実際にはやらなかったので、頼めないというようなことを言っていた。本当はやってもらったらうれしかったろうとは思う。たとえば、通院や買い物などは介護保険ではどうにもならないので、奥さんが長いこと忠実に手伝っていたのだが、普段から口が悪くあけすけに非難めいたことを言うのも日常茶飯事だった母が感謝の言葉らしきものを述べていたこともあった。介護生活で必要以上に子供夫婦の世話にはなるまいと同居しながらも老老介護の道を決めていたらしきその基準から言えば、本来は赤の他人の僕の奥さんがそこまでいろいろと世話してくれるのをそれなりにありがたく感じていたということのようだ。我が強く出るようになった晩年の両親の理不尽な言い分には随分閉口させられたが、一方で親にもかなり気を使ってもらっていたということにはなるのだろう。

介護老人をかかえていろいろ出費がかさむところは随分家計も負担してもらった。肉体労働や、介護業者や病院との交渉、相談、役所の手続きなどやっかいごとはたいてい僕が引き受けていたが、金銭面ではだいたい自分の面倒は自分でみていた。介護保険ではどうにもならない看護師の費用を内緒でこちらが出したりしていたこともあったけど、二人とも死ぬまでこちらの経済負担を心配していたのは確かだ。自分としては、とても、晩年の面倒をみたなどと言うことはできないし、かえって死ぬまで、いや死んでからも心配かけっぱなしでろくなもんではなく、何やってたんだろうと自分でも思うのだ。面倒みさせてもらっていたんじゃないか、結局死ぬまで親は親ってことではないのか。というのは、僕自身の思いでもある。

母のおむつを変えるのはそのようにしてほぼヘルパーさんに依存していたが、介護業界も人手不足で、毎回担当する人がかわる。母はよく世話を受けるのを拒否して、ずいぶん仲裁に入らされた。何もできずにヘルパーさんにお引き取り願ったことも何度もある。後になって、よく考えてみると、毎日ちがう人に自分のおしりをさらし汚れをふいてもらうのだから、たとえ寝たきりの認知症の老人だからといって、誇り高き母がそれをよしとしないほうが当然だということに気づいた。本当に随分たってからのことだ。介護会社には無理をしてもらって、なるべく母の気に入った方に面倒をみてもらうように配慮してもらったりした。

だが、老親の介護は結局のところ家族に降り掛かってくる。これは、結婚生活と似ていて、一筋縄ではいかない。感情のすれ違い、経験不足からの失敗、果ては憎みあい罵り合い、ぼけて暴力的な抵抗を示す親をなだめたり、粗相しても高齢者の尊厳に気を使い言葉づかいを考え、お互いに疲弊するといった遣り切れない日々だったことも確かで、そんなに楽なものではない。そして、親が亡くなってみると、都合良く、ああすればよかったこうすればよかったという後悔だけが繰り返し去来する。

ハルノさんは、こんなことを書いている。吉本さんの好物だった焼き蓮根に関連しての箇所。

 この連載をリアルタイムで読んだ時、「ああ!そうだ父に焼き蓮根を作ってあげよう」と思ったのだが、眼が悪い父がどれほど床に散らかすのかと考えると、ついつい一日延ばしになり、そしてそのままになってしまった。今思うと、涙が出るほど胸が痛む。  「たかが散らかる位で!」と人は言うだろうが、日常であること家族であることとはそんなものだ。誰だって家族には少なからずそんな思いをさせながら日々を生きている。(115ページ)

この種の悔恨を数え上げたら僕もきりがない。あれを買ってやればよかった、ここの家具の配置直してやればよかった、床暖房考えてやればよかった、布団もっとほしてやればよかった、床屋の手配とか言ってくれればやったのに、タバコ買ってやらなかったけど、いまさらどうなるわけでもないし、好きなだけ吸わせてやればよかった・・・・・・本当に数限りなくある。実際に、そんなにえらそうに言えるほど面倒など見られなかったし、自分で自分のことができるならぼけ防止のためにもやらせといた方がいいだろうという気持ちがある一方で、両親も子供の世話にならないで出来るところはやると決めていたようなところがあったわけだから、これが実は難しい。向こうは向こうで、いろいろやってもらいたいと思いながら、素直に依存できず、お互いに遠慮したり迷惑かけあいながら住んでいたというわけで、後悔の種をかぞえあげながらも、仕方ない、生活するってのはそんなことだろうという思いもとても強くする。本当にどうしようもない、お互い様といって笑うしかないような縁が親子の縁ではないか。できることといえば、ああ、あれやっぱり食わせてやればよかったなあ、という嘆息と一粒の涙を流すことくらいなわけだ。

そのようにして残った両親との思い出は、財産になっているのは確かだと思う。味の素の思い出ひとつで、人はいくらでも親元に立ち返ることができる。そのようにして守られた魂は、一生の間、たとえ親が死んでしまった後でも一生の間、親に守られているのだなと、心から思わざるを得ない。そういうことをハルノ宵子さん、多子さんはとてもよく心得てこの本をつくり上げられている気がする。あからさまに、野暮な事などなにひとつ書かないけれど。

ところで、吉本さんは、次のように書いている。

 少なくとも、少年期や少女期は食べ物についていえば、二度やってくる気がしている。一度は父母の味付けをうまいうまいと信じて食べる者として。もう一度は、自分たちの子供時代に味わった食べ物の味がほんとうだったのか、なつかしさをたしかめる者として。この二度やってくる少年期、少女期が風俗や習慣のちがった地域ごとに輪になって残るにちがいない。(32ページ)

最近になって、僕も味の素を使うようになり、両親の好んで食べていたものを食べるようになった。年齢とともに味覚が変化するというだけではなく、子供の頃に両親とともに食べた味の力は、おそらく何物にも代え難い安心感を与えてくれるからなのではないだろうか。文化が人を守るのは、このような何気ない好みであったり、傾向であったり、雰囲気であったりしていて、そうしたものと無縁な世界で人々は生きていくことはできるものではないのだ。文化を守るという言い方があるけれど、逆だと思う。文化に守られるようにして生きていくほか無いのが人間であるなら、人間が安心して生きられる世界が続いているならば、文化は自然と守られるはずだからだ。変化はしても、そのようにして、親から子へ役割を交代しながら人間は続いてきたのだろうなどと思う。味覚に関する文化は、まさにその変化しながらも守られてきたものの代表格かもしれない。味覚が守られているのではなく、味覚が人を守るのだ。

本書は、食べる事という家族の内側に直接開く穴を通じて、吉本さん親子の生活をかいま見るような風情の本だが、全体を通じて、とくに、ハルノさんの書くものの方に多く共感した。吉本さんの書かれている部分は、なんというか排画か仏画のような風情で、飾っておいても毒にも薬にもならないような静かな境地に入られていて、感想がどうのという領域をこえている。そのかわりに、たとえば、ハルノさんが、こんな親鸞を引用する吉本さんみたいなことを言う。

 危害を及ぼすモノなら毒虫でも人間でも、同じ勢いで殺せる。しかし、今飼っている猫は殺せない。では<毒虫・人間・飼い猫>の、どこに違いがあるのかと考えると、 “縁” 意外には思い当たらない。極端な話 “縁” が介在したら、ハエ一匹殺せないが、  “縁” も無くただ私の命を脅かす存在なら人間でも殺せる(食べないけどね)。(156ページ)

僕は、競馬をやるようになってから馬肉がだめになった。友達の肉を食ってるような気がして仕方ないからだ。親鸞といえば、昔のお坊さんについてこんなことも。せんべい屋さんの主人が坊さんになった話の中で。

 思えば昔坊さん(特に臨済宗)は、寺に留まらず様々なアイデアを持って諸国を巡り、人と人を繋ぐ ”ハブ” の役割をしていたのだ。ストイックに一つの事だけを突き詰め、ただ黙々と同じ作業を続ける人生よりは、どこか飄々としたこの人物には、坊さんの方が似合っているのかもしれない。

あるいは、凧上げの思い出を書かれているのだが、その知識の的確さはあの頃の悪ガキなみ。最近は、お正月に凧上げを見ることも少なくなったが、全体に昭和の過ぎ去った風情にあふれていて懐かしい気持ちでいっぱいになる。

吉本さんの最晩年の著作として、もう一冊『フランシス子へ』があるが、そのフランシス子という猫と吉本さんの関係はこの本でも少し触れられている。守り守られる関係が消滅して、次第に死に向かって夢の中に歩み出るお父さんについての描写を読んでいると、老老介護の相手方、母が特養に入所してから急速に体力を喪失した僕の父の姿とかぶる。とくに、最後におかれている「すまんが、氷の入った水をくれ」といわれた言い方に驚くエピソードを読むと、自分の父の最後の日々をどうしても思い出さざるを得ない。父は、自宅で転倒して脳挫傷をおこし、入院した後、ほどなく、おそらくは誤嚥性の肺炎で亡くなった。父は何かをしてくれということが少なかった。なんでも自分でやろうとする。薬をとろうとして立ち上がった時、もう足元もおぼつかなくなっていた父はよく転倒していたのだが、立ち上がっただけで転倒するとは思わなかったのだろう。薬なんか俺がとるのにとしかりつけるように言ったが、父は黙っているだけだった。丁度昼飯を用意していた時で、作ったおかゆをたべさせたが口にスプーンを運ぶ様子がおかしく、すぐ寝かせて主治医と相談して救急車を呼んだ。その後、入院して一時回復したが、もうまともな言葉が出てこなかった。そうした意味での吉本さんの最後の食事は、『きつねどん兵衛』だったと書かれている。最後の食事のことは、僕はおそらく一生忘れまい。多子さんもそうだろうと思う。

本来、食のエッセイである本書から、せっかくなので、食べ物についてのいくつかのトピックスをあげて終わりたい。いずれもハルノ宵子さんの書かれた部分。

1 節分蕎麦
 吉本家では、節分に蕎麦を食べる習慣だったとのこと。初めて聞いたので調べてみたら、なんと江戸時代は、節分を本当の年越し(春がくる境目だから)ととらえて、蕎麦をたべる風習があり、それが、年末の風習として残ったと説明されている。吉本家のそばの具は、天ぷら、とろろ、裂いた鶏の酒蒸し、煮揚げ、茹でた芹、ほうれん草、薬味に刻みネギ、大根おろし、三つ葉、ゆずなどとのこと。なんだかそば食べたくなってきた。

2 サラダ菜
 松坂屋のレストランでサンドイッチを注文したらレタスではなくてサラダ菜が使われていたとのこと。サラダ菜は、最近陰が薄くなっているが、そういわれてみると、昔はお弁当の仕切りとかにもよく使われていたし、ポテトサラダにもよくついていた。いつから、陰が薄くなったのだろう。ハルノさんいわく、レタスは淡色野菜だが、サラダ菜は緑黄色野菜で栄養価も高い、これからは自分もサンドイッチにはサラダ菜を使おうとのこと。

3 ほうれん草の根っこ
 最近のほうれん草の根っこの部分が赤くないという。言われてみれば、たしかに袋入りのほうれんそうはどこかひ弱で、勢いも無く(そのかわりアクも少なく)、根も緑だ。子供の頃、母が作ってくれるほうれん草のソテーはこの根っこ入りだった。固くて好きではないのでよけて食べていたが、今のほうれんそうはそのようにして料理にいれる意欲もそがれる中途半端さだという。ハウス栽培なんですかね。今の時代を象徴するような気がするのは僕だけではないだろう。

あと、下町のレバかつも食べてみたいと思ったもののひとつ。あまりあげてこれから読む人の興趣をそいでもしかたない。これくらいで。読後、ハルノさんのエッセイをもっと読みたいと思うのは僕だけではないと思う。関係者の方、是非、ご本人に進めていただければと。吉本さんは、次女のばななさんとは対談本をすでに出しているから、これで娘さん二人共著を持ったことになる。もちろん、生前の吉本さんは本書の成立を見ることはなく、亡くなられてからこの本は出ているわけだが、物書きの故人を供養するものとしてこれ以上のものはあるだろうかと読みながらしきりに思った。 (2014/3/26 加筆)

| | トラックバック (0)

2014年2月 8日 (土)

『永遠の0』 百田尚樹 著

映画が評判になっているが、先に小説を読んだ。手に取ったのは偶然だ。最初の数十ページくらいをざっとながめて投げ出しかけたのだが、少し思うところがあって読み進めていくうちにだんだんこの作品について書いてみたくなった。

読めばわかるわかりやすさで作られていて、それなりによくできた作品だと思う。しかし、本当は言葉だけでは描くことのできないものを、だからこそ言葉で描き出すのが文学だとすれば、この作品は文学的ではない動機に支えられているところがあり過ぎるし、エンタテイメントにしては読者に応分の負担を要求する戦争論や特攻論に作者自身がのめり込みすぎている面もある。僕が最初の数十ページで放り出しかけたのは、『蟹工船』と同じだと思ったからだ。文学化された『ゴーマニズム宣言』といったほうが分かりやすいかもしれない。はじめに作者の主張が明確にあって、その主張のために登場人物が生な意見を吐く。一種のアジテーションになっていて、小説の作法としては、これをやったらだめだということをやっている。『蟹工船』と同様、この作品もそこだけでB級作品であるとひとまず言えると思う。これは、プロレタリア文学が60-70年以上前にやったのと同じやり方なのだ。

それでも読ませるというのがみそだし、それ故にベストセラーになっていると考えたらいいと思う。『蟹工船』だって、作品としてはB級だが、古典として今でも読まれている。この作品も、読者に考えさせる部分もあり、読みつづける楽しみも作ってあり、謎が少しずつ解かれていく読者を飽きさせない仕掛けもある。登場人物の性格付けも一応きちんとなされている。実際、この、文庫で600ページ近くある作品を読み通すのは、それほど骨ではなかった。楽しめたと言えなくもない。よくできているというのはそういう意味だ。では、解説を書かれている児玉清さんが言うように感動したかと言われると、複雑な気持ちになる。理由は明白で、作者が作品中にちりばめた主張に首肯しかねる部分があるからだ。このように作品があからさまな「主張」を持っていて、その賛否が作品評価に連動しているようなもののほとんどはだめな作品だと僕は考えているし、高校の読書感想文で『蟹工船』が課題になったときから今に至るまで考え方がかわったことはない。つまり、これは、B級品だ。なのに、なぜこの作品は賞賛され、ベストセラーになり、映画もヒットしているのか。作品の主張が時代の空気に丁度見合ったからだと考えるのが妥当だと思う。つまり、作者の主張にひかれる読者が相当数いるということになる。

小学生の頃、太平洋戦争を扱った戦記物をずいぶん読んだ。子供向けに書かれたシリーズが二三種類あって、いずれも全巻読破した。プラモデルは、軍艦の喫水線上の姿をモデル化したウォーターライン・シリーズや戦闘機ばかり作った。戦争の道具としての兵器に距離をおくようになり熱が冷めたのは中学生になってからだ。つい最近まで、軍事関係の情報に対してはまったく興味を失っていて、時々思い出したように制作される日本製の戦争映画は見る気にならないし、それについて何か書こうという気持ちになったこともなかった。家族を守るためだとか、愛する人のためだとかで戦争にかり出されて懸命に戦う人たちの悲劇といった類いのテーマ設定にはうんざりしつくしていたし、戦後の「民主主義化」の過程で華麗に新しい世の中の流れにのって戦中の自分をがらりとすてて転身した人々に対する困難な批判も抜きに戦争の何が語れるのか僕には見当もつかなかったからだ。どれもこれも質の悪い感動作にちがいないことは、見なくたってだいたい想像がつくというものだ。

しかし、この作品は、そうした作品とは一線を画している。作者である百田さんは、戦後のメディアにあふれる戦前否定のあり方に明確に意義を申し立てていて、その主張にはある程度説得力があるのだ。この作品がベストセラーになっているのはあながち理由がないことではない。たとえば、上に書いたような戦後になって民主主義に鞍替えした代表格である新聞については、次のようにして徹底的にこき下ろされている。

話者である主人公の姉のボーイフレンドとして登場する高山という新聞記者は、特攻はテロと同じと考えている。特攻要員として終戦を迎えた武田という元経済界の大物だった人物を話者である主人公が訪ねる時に、高山はその姉についてきて武田に対話を断られ、次のようにして追い返される。少し長くなるが引用する。

「特攻の体験は語りたくない。特にあなたには」

「なぜですか?」

 武田は大きく息を吐くと、高山の顔を見据えて言った。

「私はあなたの新聞社を信用していないからだ」

 高山の表情が強ばった。

「あなたの新聞社は戦後変節して人気を勝ち取った。戦前のすべてを否定して、大衆に迎合した。そして人々から愛国心を奪った」

「戦前の過ちを検証し、戦争と軍隊を否定したのです。そして人々の誤った愛国心を正しました。平和のために」

(略)

「あなたは戦後立派な企業戦士となられましたが、そんなあなたでさえ、愛国者であった時代があったということが、私には大変興味があります。あの時代は、あなたのような人でさえそうだったように、すべての国民が洗脳されていたのですね」

 武田はカップを皿に戻した。スプーンとぶつかって派手な音を立てた。

「私は愛国者だったが、洗脳はされてはいない。死んでいった仲間たちもそうだ」

「私は特攻隊員が一時的な洗脳を受けていたと思っています。それは彼らのせいではなく、あの時代のせいであり、軍部のせいです。しかし戦後、その洗脳は解けたと思っています。だからこそ、戦後日本は民主主義になり、あれだけの復興を遂げたと思っています」

 武田は小さな声で「何と言うことだと呟いた。

 高山は畳みかけるように言った。

「私は、特攻はテロだったと思っています。あえて言うなら、特攻隊員は一種のテロリストだったのです。それは彼らの残した遺書を読めばわかります。彼らは国のために命を捨てることを嘆くよりも、むしろ誇りに思っていたのです。国のために命を捨てることを嘆くよりも、むしろ誇りに思っていたのです。国のために尽くし、国のために散ることを。そこには、一種のヒロイズムさえ読みとれました」

「黙れ!」

 いきなり武田は怒鳴った。

「わかったようなことを言うな!我々は洗脳などされておらんわ」

「しかし、特攻隊員の遺書を読めば、殉教的精神は明らかだと思いますが」

「馬鹿者!あの遺書が特攻隊員の本心だと思うのか」

 武田は怒りで顔を真っ赤にさせた。周囲の人が皆こちらを見たが、武田はまったく気にしなかった。

「当時の手紙類の多くは、上官の検閲があった。時には日記や遺書さえもだ。戦争や軍部に批判的な文章は許されなかった。また軍人にあるまじき弱々しいことを書くことも許されなかったのだ。特攻隊員たちは、そんな厳しい制約の中で、行間に思いを込めて書いたのだ。それは読む者が読めば読みとれるものだ。報国だとか忠孝だとかいう言葉にだまされるな。喜んで死ぬと書いてあるからといって、本当に喜んで死んだと思っているのか。それでも新聞記者か。あんたには想像力、いや人間の心というものがあるのか」

(略)

 涙を流して語る武田に、高山は口元に冷ややかな笑みを浮かべた。

「私は書かれた文章をそのまま受け取ります。文章というものはそういうものでしょう。出撃の日に、今日は大いなる喜びの日と書いた特攻隊員もいます。また天皇にこの身を捧げる喜びを書いた者もいます。同じようなことを書いた隊員たちは大勢います。そんな彼らは心情的には殉教的自爆テロのテロリストと同じです。」

「馬鹿者!」

 武田は手のひらで机を叩いた。コップが音を立てた。ウェイターが思わず一歩近づいた。先程からずっと周囲の人たちがこちらを見ていた。

「テロリストだと-----ふざけるのもいいかげんにしろ。自爆テロの奴らは一般市民を殺戮の対象にしたものだ。無辜の民の命を狙ったものだ。ニューヨークの飛行機テロもそうではないのか。考えてみろ」

「そうです。だからテロリストなのです」

「我々が特攻で狙ったのは無辜の民が生活するビルではない。爆撃機や戦闘機を積んだ航空母艦だ。米空母は我が国土を空襲し、一般市民を無差別に銃爆撃した。そんな彼らが無辜の民というのか」

高山は一瞬答えに詰まった。

(略)

「夜郎自大とはこのことだ-----。貴様は正義の見方のつもりか。私はあの戦争を引き起こしたのは、新聞社だったと思っている。日露戦争が終わって、ポーツマス講和会議が開かれたが、講話条件をめぐって、多くの新聞社が怒りを表明した。こんな条件が呑めるかと、紙面を使って論陣を張った。国民の多くは新聞社に煽られ、全国各地で反政府暴動が起こった。日比谷公会堂が焼き討ちされ、講和条約を結んだ小村寿太郎も国民的な非難を浴びた。反戦を主張したのは徳富蘇峰の国民新聞くらいだった。その国民新聞もまた焼き討ちされた」

(講談社文庫版 418ページから424ページ)

と、この後、この一連の事件が国民を戦争賛美に導く分水嶺となり、新聞社とそれに煽られた国民は軍部を暴走させるに至った、その元を作ったのは新聞社だったと武田は言って、その新聞社が戦後手のひらを返すように国を愛することは罪であるかのような主張に転じた結果、自らの国を軽蔑し近隣諸国におもねる売国的な政治家や文化人を生み出したと断じるのだ。

この箇所は、全編を通じて作者の怒りが一番強く現れている箇所だと思う。作中人物に半分作者が顔を出して作品のバランスを崩しかけている。この年齢の特攻要員経験をもち、大企業の経営を経験した人物にしては軽すぎるししゃべり過ぎているし、誰が話しても同じような内容をまくしたてることで武田という人物のイメージを縮小し、ただのはりぼてにしてしまっている。また、この新聞記者の浅薄さもおそらくは意図されたもので、わざと戦前に対する最も薄っぺらな考え方をもつ戦後生まれの人間を造形しておいて、それを戦後の人々や戦後の新聞社の代表であるかのように見なして全否定している。この箇所を読む者の多くは、おそらく武田の側に立って読み、高山に対して怒りを抱くだろう。僕もそうだった。おそらく、こんな薄っぺらな人間理解で人の過去の記憶にずけずけ土足で踏み込むやつがいたら、自分なら問答無用で追い返すだろうななどと考えながら読んだことは事実だ。しかし、この高山もこの箇所をのぞけばどうでもいい登場人物の一人に過ぎず、一向に顔が浮かばない。高山は、戦後のある種の戦争理解の薄っぺらさに対する標的の役回りしか与えられていない。

一方で、武田の側に身を置いて読んでしまうといっても、その武田の言い分で同意できるのも戦争に赴いたものの内面の動きまでだといっていいかと思う。特攻をテロと同一視するなというのは当事者の心情としては当然だろうし、時代状況を想像してみても、逃げることの許されない状況で堂々と死地に赴いた人々にテロリストの言葉を浴びせるのはあまりに心ないし酷という心情には共感する。しかし、911のテロを見て特攻を思い出した人は実際にはたくさんいると思う。武田は、特攻が殺戮兵器たる空母や戦闘要員しか攻撃対象にしていないのに対して、テロリストは一般の人々を対象としている点で違うのだと主張する。しかし、そう言ったすぐ後で、その日本軍の攻撃対象たる米軍は日本の一般市民を無差別に攻撃したと言っていて、そのアメリカの日本本土爆撃がテロではなかったかについては言及しない。それがテロでないとしたら、それはなぜなのか。

たとえば、戦争中、日本が米国本土まで攻め入っていたと仮定しよう。日本は、おそらく、米国の主要都市に対する空襲を行っただろう。ドイツのイギリスに対するV2ロケットによる攻撃を思い出してもいい。また、日本が原爆を研究していたことは史実であり、原爆は戦闘組織だけを破壊することなく、広く都市全体を破壊せずにはいない兵器であることも明白である。特攻は確かに空母を対象としていたかもしれないが、お互いの軍隊が一般市民にまで及ぶ攻撃を視野に入れた戦いをしていたことは実際には明らかだと思う。特攻機が一般市民めがけて突入したわけではないという事実は、第二次大戦のさなかにおいては結果論に過ぎない面があると言わざるを得ない。鬼畜米英という言葉がスローガンだったんだから。何しろ。

また、一般市民にまで及ぶ攻撃が何の躊躇もなく行われる戦況の中で、国の勝利のために必要とされる自爆攻撃が計画され、それに志願せざるをえず、その上、喜んで突入すると遺書に記さなければならない集団の状況がどれほど「飛行機テロ」と異なるものなのかは簡単には言えないことにも注意する必要がある。この点では、武田が見落としていることがおそらく最低でもふたつはある。

ひとつは、テロが本当に狂信に基づくものかどうかは、それほど自明ではないという点だ。無差別テロを行う集団の側に特攻と同様の必死な思いがなかったのかは外から見ていても単純にはわからない。たとえば、啄木の『ココアの一匙』を思い出そう。

われは知る、テロリストの

かなしき心を――

言葉とおこなひとを分ちがたき

ただひとつの心を、

奪はれたる言葉のかはりに

おこなひをもて語らむとする心を、

われとわがからだを敵に擲げつくる心を――

しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり。

啄木のこの詩を最初に読んだのは中学一年生だったから、テロを分かるという啄木にずいぶん驚いたものだ。しかし、ここで啄木はテロの本質をよく理解していると今では思う。自分の主張を言葉で表現するかわりに行動で示さざるを得ないテロリストの追いつめられ方がよく表現されていると思う。テロリストは、対抗する言葉を封じられるかあるいはそれに絶望して相手方との交渉を攻撃に切り替えざるを得ないところに追い込まれることで生まれる。過激だからテロリストになるのではなく、過激な言葉にならざるをえない主張の水準で言葉を抑圧することでエネルギーが直接行動に反転することでテロの芽が生まれるのだ。強い抑圧がないところにテロは起こらない。殉教的精神は本当は関係ない。自爆テロであるかどうかは、戦術的な問題であり、軍やテロ組織がそれを強いることを許容する宗教的、文化的背景があれば起こりえることに過ぎないと僕なら考える。また、「自由」ないし「自由社会」を守るための戦争が宗教と無関係かどうかも本当はきわめて怪しいと考えるべきだ。チョムスキーは、もっとあっさりとアメリカはテロ国家だと言い切っているが、アメリカは抑圧からではなく、「自由」を強いるためにより小さい国や集団を暴力的に支配する。それをテロだというなら、国家の本質はテロだと言ってもいいし、国家間の戦争はテロの応酬だということになるだろう。たとえば、アメリカとNATOの攻撃対象は、東欧の共産主義国家の崩壊後イスラム国家に対するものに変化してきている。アフリカをのぞけば、ほとんどの戦争は、イスラム圏と西欧圏の闘争の色彩を帯びていると言ったら極端かもしれないが、国家同士の戦争というよりも内線を通じて宗教的な背景を異にする民族間が闘争を繰り返しているというように見えてならない。もっといえば、僕は、共産主義国家に対する冷戦も、宗教戦争だったと考えている。共産主義同様、自由主義が宗教であると言っても本当はかまわないのではないかと思っているくらいだ。そうではないのだとしたら、なぜその抽象的な「国家」を守るために兵士たちは喜んで生命を投げ出すのか。信じているものに殉じる構図があれば、なんらかの宗教的な基盤がなければならないし、その構図の必死さ、逃げられなさが同じなら、自由のために危険きわまりない作戦を遂行するアメリカ軍と自爆テロを遂行する人々とがどれだけ異なることをしていると言えるのか極めて怪しいと考えるべきだ。そんなに何もかも宗教といわなくてもよいではないかという批判があるなら、信念とか信条とか言葉をかえてもかまわない(本当は、国家と宗教の関係はもっと丁寧に言うべきなのだろうがそれはまた別問題として)。いずれにせよ、特攻のような生命を投げ出す行為がある場合には、多かれ少なかれそうした宗教的なしばりにもとづく精神的な背景と無縁ではないことをよく理解しておく必要があると思う。所属・帰属している集団からの暗黙の強い要請が無い限り、個人は決して自ら生命を捨てないだろうからである。

たとえば、映画、『アルマゲドン』でエイリアンである敵の母船に突入していく主人公は特攻の麗しい昇華されたイメージだとみなせる。そこから翻って、人類を救うために自爆することと、自国の人々を救うために敵の母船に自爆することとどれほど異なるかを考えれば特攻の本当の意味はすぐわかるはずだ。これは、武田が見落としている二つ目の点だ。特攻は、本当は、実行する個人の問題ではなく、それを生み出した集団の問題なのだ。テロを行う人々が、神の名を唱えて万歳を叫びながら喜んで死んでも、特攻で家族の名前を呼びながら死んでも、窮地に追い込まれた部隊が全滅覚悟で突入しても、本当は同じことで、その間に大きな差は無いと考えるべきだ。『アルマゲドン』型の特攻は、太陽に突入する鉄腕アトム、火山に向かうグスコーブドリ、映画、『日本沈没』で深海艇に乗り込む草薙剛、など物語の世界では少なくないし、たいていは美しい人間の犠牲的精神とその悲しさを描くものとなっている。それらは、個人が死ぬことで集団を死地から蘇らせる構造において同型である。そこには、本当は、集団が生きながらえるために個人を犠牲にすることに躊躇ないある巨大な意思があるのであり、神風という言葉が象徴的に示すように、神に対する供犠にも似た犠牲的な精神構造が存在しているのであり、個人の内面で特攻を語ろうとする限り、すべての自己犠牲のストーリーと同じ美談にしかならないことに、武田も、実は武田であるところの著者も思い至っていない。この欠陥がある限り、どんな特攻の物語もありきたりの美談にしかならないことは前述のとおりである。たとえ宮沢賢治でも、それを賛美する立場に僕はいない。

個人の信条や信念の次元、あるいは、家族を守るという次元、愛する者のためという次元では戦争は始まらないし、できない。特攻も殉教的な攻撃も起こらない。それらは個人が本当はやりたくない戦闘に参加するために自分を納得させる言葉としてあることを忘れてはならない。戦争はそれらとは全然別の次元で起きる。戦争がいったん起こって、動き出したら、それは個人の思想判断の次元とも倫理や生き方とかの次元とも異なる次元の論理で個人の行動を律することを求め始める。集団への過激な帰属と一体化の要請、思想の共有、家族からの独立、秘匿の禁止、感情の抑制、規律の遵守、等々。それは、洗脳とは関係ない。洗脳は、それら集団が求める従順さを個人の欲望の軸に合わせる技術であり、宗教組織は用いても、軍隊組織のやり方とは一般的には無関係だからだ。武田が怒るのは当然だ。軍隊は、人を従わせるために、暴力を用いる。鉄拳制裁のような暴力もあるわけだが、より本質的には、やらなければやられるという敵との関係性そのものを用いるのだ。暴力に基づく均衡関係に放り込まれることで、丁度、奔流の中では流れに合わせて動くほか無いように人は暴力の行使のために生き始める。それは、個人の意志とも洗脳とも無関係で、ただ集団としての人の動きと個人としての人の動きとは次元が違うということだけからくる現象だ。奔流がやめば(すなわち戦争が終われば)この緊張関係から解かれて、人は集団の次元から抜け出て個人として生きだすことができるようになる。平時の社会生活では、こうした集団と個人との場面は交互にやってくるが、軍隊組織では常時、集団としての生活のみが許容されるわけで、それを洗脳と読みとったり、その結果の行動をテロと断じたりすれば、それは怒るよ、ということになる。このあたりの特攻隊員たちの無念さは、本作ではよく汲み取られている。全部とは言わないまでも、そこに対して著者は最大限の敬意を払おうとしている。そこまで理解しているのに残念であるというのが本書に関する感想のすべてだといえるだろうか。重みをかける場所はそこじゃないんだけどなという気がしばしばして仕方なかった。現実に戦争体験した作家の作品と比較してどこか軽さを感ずるのはそのたあたりなのではないかと僕は思う。

さて、もうひとつ、本書で「生に」主張されていることをあげておこう。それは、日本帝国の軍隊にあった士官制度と官僚主義に対する批判である。実戦経験乏しいままに、勉強ができることだけで士官としてはじめから戦地に赴く軍人が戦局を苦境にもたらしていったひとつの原因であることが主人公の姉を通じて語られている。あるいは、戦地においても出世のための評価を気にしながら戦う軍人の情けない姿についても半信半疑ながら言及されている。この指摘は、戦争史の研究から様々な形であきらかにされていることと思うが、日本の国がそうした多数のだめな船頭に導かれて責任者不在のもと敗戦まで連れて行かれたのは、日本の官公庁のキャリア制度がもたらしている問題と同じ構造であり、日本の大組織の腐敗構造の根にある問題である。この問題に関連する物語が本書で主たる軸として展開されているわけではなく、兵士の死の無駄にされ方に対する著者の視点を支えるひとつの状況証拠となっているだけなのだが、日本軍のだめな所も特攻のだめなところも十分理解された上で当時の軍隊に対する批判が貫かれているということは言えるように思う。物語全体としては、特攻の当事者の内面の真実を描くというよりも、日本軍の狂気の原因やその現象に対する冷静な認識を下敷きに、特攻に追い込まれていったいちばん「死にたくなかった」兵士が特攻で突入してくまでの物語を作りあげた形になっている。もしかするとそうした官僚主義的な軍隊の腐敗の結果を明確にすることにも著者のもうひとつの狙いがあったのではないかという気がしないでもない。冒頭で、現代の空気と合っていたのではないかというのは、このことだ。犠牲になるのは、現代も戦争中も一番若い学校出たての若者である。戦争中は、しかも学徒出陣でかり出された兵士たちが優先的に特攻に向かわされたわけだ。『進撃の巨人』が、現代の日本で、まるで食い物にされている若者のつましくかなしい反撃の物語に見えるのと同様、「馬鹿な」上司に理不尽な理由と給与でこき使われなければならない、あるいは、その場にいるためにすら多大な努力と犠牲を要する若い世代には、本書は実は極めて現代的な物語として響くのではないかということだ。その理不尽な組織に属していた、あるいはまだ属している「士官」クラスのおじさんたちにも。

単純な戦争賛美でもないし、戦地の状況、国の状況もよくおさえられているし、特攻のような特殊状況における兵士の心理にも迫真性があり、あわせて、ミリタリー好きも満足させる零戦に関する記述。オンライン・ゲーム、艦隊コレクションのブームなどとも合わせて考えると、現在における「右傾化」の本質はよく浮かび上がるのではないかという気がする。そこには、だめな官僚に守られただめな国を脱して、強い組織で作り直した強い国への渇望のようなものが漂っているのだ。安倍首相の人気もその前の民主党への期待も根は一つではないかと思う。本作が保守系の政党支持者から強く支持される所以である。半面の真理しかない。しかし、それを知らない者は本作に感動するだろう。やっと日本はそこまできた。その程度の成熟度だと考えると、本作がベストセラーとなる意味も分かる気がするのだ。 (平成26年2月8日 加筆)

| | トラックバック (0)

2013年11月 3日 (日)

『マヨラナ 消えた天才物理学者を追う A Brilliant Darkness』 ジョアオ・マゲイジョ João Magueijo/塩原通緒[訳]

マヨラナの名前は、初等量子力学を学んだ後、量子電磁(電気)力学 (Quantum Electrodynamics=QED) を勉強していると出て来る。僕は、学生のときに J.J. Sakuraiの “Advanced Quantum Mechanics” を輪講で読んでいる時に出会ったのが最初だと思う。今インデックスで引いてみると、ディラックの Hole Theory の説明のセクションにパウリなどの名前と共に出ている。ディラックの Hole Theory は、SF 的な文脈で語られることも多い反物質についての端緒となる理論で、真空は負のエネルギーをもつ電子で満たされていると考え、その粒子の欠如が正のエネルギーをもつ正電荷をもつ粒子すなわち陽電子とみなされるというものだ。マヨラナは、このディラックの解決策が気に入らなかったらしい。最近存在することが確実視されるようになりつつあるマヨラナ・ニュートリノは、このあたりに起源をもつようなのだが、その当のエットーレ・マヨラナ本人は、1938年に失踪し今に至るまで行方不明のままだ。ただ、エットーレの生年は1906年だから存命だったとしたら、もう107歳ということになる。

僕も駄目学生なりに物理を勉強はしたので、マヨラナの名前と失踪したらしいということくらいは知っていたのだが、本国イタリアでは多くの謎解き本が出版されたり漫画やSFの題材にも取り上げられるなど相当の有名人のようだ。著者は、マヨラナに関する資料のコレクションと関係者への取材に基づいてその失踪した物理学者の一生を追いかけ、その失踪の謎を様々な説を引きながら検証する。本書の特徴は、そのような失踪の謎を考える作業が、マヨナラ・ニュートリノを初めとする彼の仕事の現代物理学における意義を明らかにする作業と絡み合いながら進むところだ。著者のマゲイジョは、ポルトガル出身で現役ばりばりの理論物理学者だ。本書に出て来る物理の説明はどれも丁寧に概念の本質を外さずに描かれていて、たとえばディラックの陽電子に関する理論、カイラリティに関する説明やパリティ非保存の説明など実に分かりやすくて感心する。ファインマン・ダイヤグラムも何の抵抗感もなく導入されていて見事だ。特に興味を引かれるのは、マヨラナの未完成交響楽として説明されている1932年の「任意のスピンを持つ素粒子の相対論的理論」と題された論文に関する説明だ。これは、ディラックの「電子の海」と反物質の理論に対抗して作られたものだ。少し引用する。

 基本的に、エットーレがとったのは相対性原理-----この宇宙に特権的な観測者はいないということ-----だけを頼りに説を導くという大胆な方策であり、彼の方程式では電子を記述する必要もなく、スピンを持っていて、相対性理論と矛盾しないものが記述されていればよかった。電子は最後の段階で、その「何か」のひとつとして必要になるだけだった。もっと数学的に言うと、エットーレはローレンツ群の無限次元表現を考えたのだ。実際、エットーレがやったことは、ディラックの方法よりもいっそう直接的な「相対性理論と量子力学を統合するもの」だった。一九二七年のディラックがエットーレの示した道をたどらなかったのは、いささか意外だとさえ僕には思える。

 ディラック自身、自分の方程式から二種類の粒子、つまり物質と反物質が出てきたことに衝撃を受けていた。それに代わってエットーレが見いだしたのは、粒子が無限に積み重なるタワー(塔)のようなもので、すべての粒子が同じ方程式によって記述され、量子力学的な波に統合される。これらは低エネルギーでは別々の粒子(電子を含む)に分かれて広がって、粒子の虹をつくるように見える。この虹のそれぞれの「色」が、別々の質量とスピンを持っているのだ。しかし、ディラックの電子と陽電子がそうだったように、もっと深いレベルにおいては、これらは異なる顔を持つ同一の物体だった。しかし決定的なのは、エットーレのタワーにおけるさまざまな粒子が(電子と陽電子とは違って)異なる質量を持っていたことで、そのためエットーレはどれか一つの粒子だけを扱うことができた(現代の専門用語を使うなら、残りを「分離」することができた)。エットーレり理論では負のエネルギーも反物質もないのだから、もうディラックの海に頼る必要はなかったのである。

まるで現代のスーパー・ストリング理論を思わせるような思想の大胆さがありながら、実際には陽電子が実際に発見されたことでディラックの理論の正しさが証明されてしまったわけで、このことはマヨラナを少なからず落ち込ませたようだが、筆者はこのマヨラナの理論は物理理論の統一を果たすための宝であるとまで言っていて少し驚く。これだけの説明ではこの理論の何がそこまで思わせるのかは分からないが、この本の隠れたモチーフのひとつは明らかにこの忘れられた理論に再び光をあてて、エットーレ・マヨラナの仕事の現代性を主張することだったと僕には思える。これは、確かに物理の本道の仕事としてはやりにくいだろう。

しかし、本書の大部分はマヨラナ失踪の謎に迫るルポルタージュのような伝記のような記述だ。フェルミがリーダーとして活躍したバニスペルナ研究所に集ったメンバーの描写などは大変興味深い。徹底して俗物として描かれるフェルミ、原子爆弾開発プロジェクトに参加したことを自慢するいやな奴セグレなどなど。これだけを抜き出して映画にしても面白かろうと思ったら、すでにそのような映画があるらしい(日本未公開)。物理に感心がなくてもこの本は謎解きの面白さ、人の歴史の面白さに満ちていて多くの人を引き込むことと思う。今年読んだ本の中でもずば抜けて面白かった。この著者、ただものではありません。翻訳もよく申し分なし。ただ、いささか値段が高い。これ、やはりそんなに売れないということなんでしょうか。多くの人に読まれていい本だと思うのだが。

| | トラックバック (0)

2013年8月26日 (月)

『朝永振一郎 プロメテウスの火』 江沢 洋 編


震災以来、主として物理畑の人々がどのように原発導入に対応してきたのかを調べて来たのだが、本書は朝永さんが発言された文章や座談などが収録されている。いろいろ思う所もあるが、今回は、いくつかメモとして引用するにとどめる。

4ページ

 たとえば子どもにマッチを持たせると危険であるが、いつまでも持たせなければ野蛮人のようにマッチのつけ方も知らないものになる。ところでマッチをつけてみせると、早速とんでもないところに放火する心配ができる。子どもの場合はある程度教えることによって導くこともできるが、教育も受けつけない異常性格者がマッチを持ったらどうなるか。「第二の火」といわれる原子力に対しての物理学者の悩みはここにある。しかもその成否の鍵を原子力物理学者が握っているような印象を世人は持っている。どこまでがわれわれの責任か----と、特に日本の場合、僕たちはいらいらとして来さえする。(「暗い日の感想」 『自然』1954年8月号に初出。)

12ページ

 彼の書いた「私は水爆完成をおくらせたか」(『中央公論』、六月号掲載)を読んだが、感じられることは、そのときどきで立場は変わるけれど、その時における態度が異常にはっきりしていることである。はじめに超然と研究一本やりで、ラジオも聞かず新聞もよまない。それがスペインの内乱やドイツのナチスの暴虐に怒りを感じて突然政治に関心をもちはじめ、いろいろな運動に参加し共産主義とも交わる。原爆を作ることに決まると全力をあげて専心する。水爆の計画が出ると徹底的に反対するが、大統領が決定声明をすると、反対の立場はとにかくとして客観的に計画を考えてみる。この態度がその時ではっきり違うという行き方が、日本人とは大変違うところがあって、彼の場合、単なる時流の低級な便乗者とちがって、良心的であればあるだけ、そして自己の職責を強く意識すればするだけ、そういう行動をとらざるをえないのである。行動はすっぱりと割切れていて、単に時流に流されているのではい。絶対にハムレットみたいではないし、むしろ自ら進んで歴史の動きに働きかけようというのである。

 この行き方の善悪は僕には判断できないが、また僕個人としてこんなに割切った強い行き方は出来そうもないが、ここに良心的で純粋な科学者のひとつの運命をみせられ、ひどく暗く淋しい気持ちにさせられた。このように傑出した科学者とても、そしてただ単に時流に流されているのではないのにかかわらず、その時流に超然などということはできないのはもちろんだが、自分で歴史に働きかけたと思った瞬間、今度は歴史によってどうにもならない目に合わされる。何かよくわからない巨大なものの手でいやおうなしに動かされて行く。オッペンハイマー自身は、自分の変動を自分自身の進歩であると感じているようだが、東洋人の僕は何となく運命というようなことばを使いたくなる。心の弱いことである。

 この事件はアメリカ自体のみならず、二十世紀の世界全体の矛盾、これから起こるであろう人類の悲劇の一つの面を象徴的に示しているように、僕には思われる。(「暗い日の感想 オッペンハイマー」 『自然』1954年8月号に初出。)

32ページ

 ところで、この成果自体に文句はないとしても、それに驚嘆した人々のなかに、数量化こそ科学の力の源泉である、という早まった考えが生れ、その結果、数量化できない科学は不当に冷遇される傾向がでできたのです。しかし、今の例でみましたように、われわれが取り上げねばならないシステムは、数量化できない各種の科学をその中に組み入れないと無意味な結論しか得られないようになっている。(「人類と科学」 ユネスコ全国大会での記念講演、1972年6月10日、日比谷公会堂、『中央公論』1972年8月号)

46ページ

 そういうわけで科学というものは、はたして良いものであろうか、という疑問がいろいろな人のあいだに出てきました。科学者のあいだにも出てきたわけです。つまり自然というものがそのままではなかなか自分の素顔をみせてくれない、したがって自然の中にある非常に普遍的な、あらゆるものについて成り立つ法則を見付けだそうということになりますと、どうしても自然に働きかけて、これを人工的に変えてやらなければならない。(「物質科学にひつむ現在」 共立出版創立五十周年記念講演、1976年6月28日、朝日講堂)

93ページ

しかし核兵器開発競争の加速度的進展と核兵器保有国の急激な増加傾向の成行きを軍事専門家にまかせただ手をこまねいて見ているわけにはいきません。(「新たなモラルの想像に向けて」 『世界』1975年12月号に初出)

95ページ

今から二十年前、ラッセルとアインシュタインは、その宣言の終わりに言っています。「……私たちは、人類にむかってうったえる------あなたがたの人間性を心にとどめ、そしてその他のことを忘れよ、……(We appeal, as human beings, to human beings; Remember your humanity, and forget the rest…)」と(湯川秀樹・朝永振一郎・坂田昌一編『平和時代を創造するために』、岩波新書、一九六三年、一七九頁)。ここに言われている人間性(原文は傍点 --注、以下同じ)という言葉を、われわれはすべての人間が持つところの、その生き続けるための智恵と解したいのであり、また忘れよと言われている他のことは、当時はイデオロギー、国籍、人種、宗教、等が含意されていましたが、現在の状況のもとでわれわれはそれをむしろ価値観を退ける狭い専門家的思考形式であると解したいのであります。(「新たなモラルの想像に向けて」『世界』1975年12月号に初出)

第三回パグウォッシュ会議

111ページ

この声明は相当長いもので七章からなっているが、はっきりと核戦争のみならずすべての戦争を廃絶すべきことをうたっている。すなわち、たとい軍縮協定が結ばれ、核兵器がすべて放棄されても、核兵器を作る知識を捨て去ることはできないこと、したがって一たん戦争が始まれば、いくらかでも工業力を持っている国は核兵器をつくりそれを使用する誘惑に打ち勝つことは極めて困難である。したがって戦争そのものを人類社会から抹殺しないかぎり、結局人類は破滅に打勝つことの危機からのがれることはできない、というのがその趣旨である。・・・略・・・戦争放棄という考えは、理想主義の夢にすぎないとしばしば言われるが、核兵器を作る知識を人類が獲得した時代になっては、それはどうしても実現しなければならない現実の課題になったのである。(「パグウォッシュ会議の歴史」)

167ページ

アメリカの原子力政策

田中(慎次郎(一九一々 --- 一九九三)朝日新聞東京本社記者、論説委員(当時)。 ) 日本の原子力研究をやる場合、一応、日本で何から何までやる建前でしょう。ところがこれは相当長くかかる。ところがアメリカの原子力政策がかわってきて、横からこっちにつながってくる場合もある。その角度は二つある。一つは軍事的な面、もう一つは平和的・産業的利用の面です。アメリカ全体の考え方は、米ソ対立の中でアメリカのいわゆる自由世界を軍事的にも、経済的にも強化するというのが大きな目標なんです。その目標の中で原子力情報をいままでよりも、軍事的面および産業の面で、外国に対して少し拡げようというのが今日の原子力法改正(原注:原子力法改正 アメリカの原子力法は一九四六年に制定されたが、この座談と同年の一九五四年に、原子力の商用開発・利用を活性化する方向に大幅改正された。)の根本の趣旨です。軍事的なほうはアメリカと共同防衛関係にたつ国と防衛計画および原子力戦のための兵員訓練に必要な戦術的情報(原子力兵器の戦術的利用に関する情報)を交換できるようにすべきだという。もう一つは平和的利用のほうで、一般の技術情報のほかに原子力の産業利用に関するある種の制限されたデータの交換および産業的・研究的利用に適当な量の核分裂性物質のリリース(release, 供給禁止解除)ということを言っている。これらが可能になるように原子力法を改正してほしいと、教書で大統領が言っている。分裂性物質をリリースする場合には、受領国が軍事的目的に使用しないという保障がなければならぬといっているから、それで兵器を作らせる考えは含まれていないようです。そこまではよいのですが、情報、ないし核分裂性物質のリリースをやる場合の条件が五つある。一つはデータの機密性と重要度から判断する。第二は情報の受領国がいかなる目的にそれを利用するか、第三番目は相手国の security standard, 機密取締り法規の備わり方の状況ですかね。法規ばかりではない。その国の国情として漏れやすいという場合もふくまれる。四番目は自由世界防衛におけるその国の役割、アメリカの世界政策に協力する度合とか役割の大小、五番目は相互安全保障努力に対し、その国がいかに寄与したか、また寄与できるか、この五つの項目を基準にして、一つ一つアメリカの利益になるか、ならないかを考慮して情報をやる程度とか範囲とか、やるやらぬを決める。

(「日本の原子力研究をどう進めるか」『科学』一九五四年五月掲載)

191ベージ

田中(同上) 略・・まずアメリカが原子力について諸外国と協力関係に立つ場合にどういう種類と範囲の禁止情報を提供するのかというと、これは第一四四条により次のように規定されております。平和的利用の面と、軍事的利用の面と大きく二つに分けて、まず、平和的利用の面から言いますと、(Ⅰ)鉱石から原子力燃料にするまでの工程、(2)原子炉、(3)原子核燃料の生産、(4)衛生安全、(5)原子力の産業利用、(6)上記の諸項目に関する研究、となっております。軍事的利用の面では、(1)防衛計画の作成に必要な情報、(2)原子兵器の使用ならびに原子兵器防禦のための兵員訓練に必要な情報、(3)潜在敵国の原子兵器能力の評価に必要な情報、であります。しかしいかなる場合にも、原子兵器の設計製造に関する秘密情報は提供しないことになっています。・・略

 次に、協力関係に立った諸外国に提供し得る原料資材の範囲はどうかと言いますと、(Ⅰ)第五四条により原子核燃料、(2)第六四条により鉱石、(3)第八二条により原子炉からの副産物(主として放射性同位元素)、(4)第一〇四条により医療ならびに研究の諸施設(小型の原子炉なども含まれる)が規定してあります。

 以上のうち、平和的利用の協力は原子力委員会が個々の諸外国と、軍事的利用の面は国防省が個々の諸外国または地域防衛組織(たとえばNATO)と agreement 〔協定〕を結ぶわけです。これらを ‘agreement for cooperation’ 〔協力協定〕と定義します。

 このような原子力に関する協力協定には、厳重な条件があることはもちろんで、これを規定したのが第一二三条 ‘Cooperation with Other Nation’ 〔他国との協力〕であります。協力協定にどういうことが明記されなければならぬかといいますと、これは大切ですから正文をそのまま申し上げます。

(略)

 軍事的情報には機密はつきものですが、平和的利用についても、たとえば(2)によって、機密保持のアメリカ的標準が相手国にもちろこまれる恐れがある。また、(3)は軍事目的への転用防止の保障を要求するもので、そのこと自体は当然なのですが、それによってアメリカの要求する control system 〔管理形態〕相手国にもちこまれることになりましょう。

(略)

 原子力法改正の背景として考えられるのは、一つは経済的な理由で、今日アメリカでは核分裂性物質の生産が非常に増えているから、原則的には経済学でいう効用逓減の原則が働くわけです。これを免れるためには大きな爆弾ばかりつくっていてもしょうがないから、いろんな種類の戦術原子兵器をつくって効用逓減を避けるということがかんがえられる。もう一つはなおかつ余ってくるから、なんとかして国際的な市場を作って売らなくてはならなくなる。売るといっても上述の如く外国ときっちりした協力関係を築いた上で売り、同時に後進国に原子力発電などを起こさせて、そこの経済力を培えば、またそれは自分たちの陣営全体としての力となる。アメリカでは「こちらがやらなければソヴェトほうはソヴェト圏の中で漸次原子力発電を伸ばしていくだろう。これに対応しなくてはならぬ」ということを言っている。

(「日本の原子力研究はどこまできたか」『掲載』一九五四年十一月号掲載)

| | トラックバック (0)

2013年8月22日 (木)

『ジミ・ヘンドリクスかく語りき 1966-1970 インタビュー集』 スティーブン・ロビー 編著 安達眞弓 訳

中学生の頃、NHKで放送された「モンタレー・ポップ・フェスティバル」の記録映画でJimi Hendrixを最初に見た。夏休みで、土曜だったのではないかと思う。あのときのことは今でも鮮明に覚えている。印象に残ったのは、楽器も舞台セットもぶちこわして帰って行くThe Whoと、ギターに火をつけてぶっ壊すジミ・ヘンドリクスだ。検索してみると1975年の放送のようなので(ほんと、最近こういうのは便利)、1967年の開催から8年後になる。現在からみて8年前というと僕などはほとんど地続きな感じがしているけど、当時その記録フィルムはちょっと終わってしまったムーブメントの記録というように見たのではなかったかと思う。地続きな感覚は抱かなかった。1967年から1975年の間に何があったのか。

とくに、75年というのは60年代音楽の終着点みたいな年で、ヒッピー文化もサイケデリックも古くなり、Beatlesの4人は相変わらずヒットチャートをにぎわしていたけど、ブラック・ミュージックは耳障りがよくてディスコ向けの機械的なリズムを重視したものが流行し、ロックはQueen、Kiss、Bay City Rollersみたいなビジュアルを前面に出して売り出すバンドがはやるようになり、フォークも主張を引っ込めてDylanは『ディザイア』を出してローリング・サンダー・レビューを経て「ラスト・ワルツ」に出演した後低迷しはじめる。(「ラスト・ワルツ」は本当に象徴的なイベントで、もちろん、これはThe Bandのラスト・コンサートなのだが、近頃は、70年代前半までの音楽、そしてそれまでのボブ・ディランのお葬式パーティーのように思えて仕方ない。)それが、76年。Eaglesの『ホテル・カリフォルニア』も同じ年。イギリスでは、Sex Pistolsが75年、アメリカでもPatti Smithが75年、Ramonesが76年とパンク、ニューウェイブみたいなのがどんどん出てくるようになったのもこのへんが境。シンセサイザーの普及期がきてコンピューター・ミュージックが一般化し始めるのはこのすぐ後。ウッドストックやモンタレー・ポップ・フェスティバルに象徴される時代の音楽は、75-76年頃を境に急速に過去のものになっていったのだ。

ウッドストックのジミヘンを見たのは、しかし、79年頃だったのではないかと思う。まだ三鷹駅前にあった三鷹オスカーで三本立てで見たのはどこかで書いた記憶があるけど、ジミのパフォーマンスは今度はギターをぶっこわすわけではないけど、当時のアメリカの状況をそのまんま表現するかのようにギターにのたうつような叫び声を出させ、戦場を思わせる歪んだ爆音をストラトキャスターのアームとアンプのフィードバックを見事に使いこなして完璧に表現する。この曲はウッドストックだけで演奏されたわけではないようだけど、少なくともこのときのジミは神がかっている。そもそも調子のいいときのジミには神がかりというより人間のリミッターを外してしまったような凄まじを感じる。ドラッグの効果があるのかどうだかは分からないけど、そう、リミッターが外れている感じというのがいちばんぴったりくる。常時火事場の馬鹿力的なとんでもない演奏を聞かせてくれる音楽家はそんなにいるものではない。

モンタレーのパフォーマンスだって、別にぶっこわしているからすごいのではなくて、これはこの時のライブ音源を聞けば分かるけど、ギターをぶっこわして燃やしても「音楽」は何も聞こえないんだよね。それはあくまでパフォーマンスであって音楽ではない。でも、パフォーマンスには意味が無くて音楽がいいかどうかだなどということではもちろんない。それも含めて、ステージから感じられる緊迫感は鳥肌もので、ギタリストとしてだけではなく宗教じみた熱気、熱狂をもたらすことのできるグルのようでさえある。中学生の時、性的な暗示も感じさせるアクションや、まるでギターとセックスするかのような動きでアンプにからみつき、射精のようにライター・オイルをギターにふりかけ、火をつけたギターをふりまわしてたたき壊すジミは、それまでクラッシック音楽以外は、日本の歌謡曲やフォークソングみたいなものしか身の回りに無くて、やっとビートルズとロックに触れ始めたばかりの自分には十分に衝撃的だったし、今でもそのインパクトはぜんぜん衰えていないのだ。

前置きが長過ぎたかもしれない。本書は、ジミのデビューから死までのインタビュー集である。実は、それなりに期待して読み始めたのだが、少し期待外れで、正直、あまり面白くなかった。理由は、やはりギターの人だったというようなことではない。いや、確かにそういう面もある。しかし、ジミの書いた歌詞は悪くない。Bob Dylanへの敬意、他のミュージシャンへの評価などを読んでいると、意外に言葉の人でもあったことが分かるのだ。何よりも、あの「星条旗よ永遠なれ」が饒舌にジミの思想を語っているではないか。インタビューがつまらない理由の大半はインタビュアーにあると思う。少し驚くのだが、その多くが論文を書こうとしている院生とか学生だったりしているのだ。プロのインタビュアーだとしても、そもそもポップ音楽の流行をおいかける音楽誌のライターのインタビューで、最近注目のミュージシャンにインタビューにきたという類いのものだから、内容は元々おもしろいはずもない通り一遍のものになりがちだという側面がある。それに、そういう状況でジミが楽しんで前向きになんでも語ったとも思えない。読んでいて、明らかにジミがいらついていると思える場面に再三遭遇する。少なくともインタビューに答えているジミはまともだし、つまらない質問にがまんしてきつあうような理由もなく、必要最低限のコメントをするだけで、それほどサービスしていないということだと思う。アーカイブとしての意味はあるにせよ、読者は食い足りない気分にさせられるんじゃないか。ジミの本当の気持ちや考えが十分に現れているととらず、インタビューの状況を考えながら肉声がここにあるのかを疑いながら読むくらいで丁度いい。

それでも、何カ所か興味を引かれた箇所があったので書き留めておきたい。

まず、Jimi Hendrix Experience (JHE) のメンバー、ノエル・レディングとミッチ・ミッチェルについては、結構評価していたようで、バンド・メンバーなんだから当然ではあるにせよ、僕たちが今聞くと、ただのバックバンドにしか思えなかったりもするのだが、ジミの中では、異なる才能をもった三人が集まったバンドとして考えられていたということ(少なくとも、インタビュアーにはそう言っている)。バンド・オブ・ジプシーズでは、バディー・マイルス、エディー・コックスと黒人だけの構成になるのだが、JHEは混成で、そのため白人に魂を売って金儲けをしているといった批判が黒人のコミュニティからは随分あったらしい。JHEのデビュー時は、ジミは単身渡英してチャス・チャンドラーとオーディションしてメンバーを選んだみたいだけど、バンド・オブ・ジプシーズみたいな黒人だけのメンバー構成はマネージャーが嫌ったらしい。そういう時代だったのだ。もっとも、黒人の歌手とみるとラップやR&Bだと決めてかかるところは今でもあるからね。

関心をもっているミュージシャンでは、エリック・クラプトンはそれなりに評価している。何回か出て来るがあまりネガティブなことは語られていない。意外だったのは、僕も大好きなアルバート・コリンズを大推奨していること。ビートルズについては、才能があるすばらしいシンガーでソングライターだとしつつも、おそらく『ホワイト・アルバム』をさしてちょっと懐古趣味になりつつあると言っている。また、体制側にいるし、むしろとけ込もうとしているとも。Beatlesが音楽の教科書にのることはあっても、Jimiの『星条旗よ永遠なれ』は音楽の時間には聞かないだろうと思う。そういうことは、Jimiはよく分かっていたのだ。

ギターについては、やはりストラトキャスターが一ばん気に入っていると言っている。テレキャスターは、サウンドはいいか悪いかとちらかしかなく、音色のバリエーションが薄い、ギルドは繊細だけど最高の音がでる、ギブソンのニューモデルはひきこなせなかった、という感じ。フライングVだとか、Jimiもギブソンを弾いているけど、ストラトのイメージが強い。実際、ジミ以降、ストラトを弾く人が増えたと書かれているのを読んだ気もする。確かに、クラプトン、ベックとかもそうかも。あのSGのイメージ強かったザッパも最後はストラト弾いてたし。

ひとつ引用を。302ページ。

 ここに座っているだけだから、おれは忙しそうに見えないけど、忙しいって言うのはこういう場所でしっとしていることなんだよ。

こういうことが言える男の言うことは信じてもいいんだよ。

502ページ。

 そう、おれがエレキの宗教家と名乗ってきたのは、人間にとって大事なのはキリスト教じゃなく、音楽が信仰のよりどころだから。世界紛争の大半はキリスト教徒が起こしたものだ。おれの目の前に広がっているのは、あらゆる信念、あらゆる宗教の核心をすべて集めた普遍的な宗教なんだ。

ジミの発言には、「スピリチュアル」なものへの親近感があり、このまま歳を重ねていたら、本当に音楽教の教祖になったのではないかというぐらいマジなのだ。

508ページ。

 ヘンドリクスは超自然現象について饒舌に語ったのち、キリスト教に触れた。

「キリスト自身ではないとしても、彼の信義を支える人々がたくさんの戦争を起こしてきた。キリスト教が過去のものだという理由がそこにある。信仰とは自分の内面から見つけ出し、心安らかに生きて行くためにかけがえのないものだ。人はふつう、愛と平和のために生まれてくるものなのに、世間体を満たすためだけに社会生活で喪服を着せられている。」(略)「・・・おれの人生は音楽一色だ。音楽とは人生と感性がすべてだから、他の職業と同じように時間をかけて取り組まなければならない。プレイするたびに自分の魂の一部を犠牲にしている。(略)世界に気付きを与えたいんだ。音楽やサウンドの波が起きて伝わる波動は宇宙的な広がりがある。」

インタビューを締めくくっているのは、ジミの名言集なのだが、その最後は、ジミの最後に残した詩からだ。

「人生の物語はウインクするより短い。愛の物語はハローとグッドバイ。二人がもう一度会えるまで。」

巻末に、エリック・バードンとのインタビューが収録されている。ジミのやる気のないインタビューよりもむしろ心がこもっていて一読の価値はあると思う。

| | トラックバック (0)

2013年6月15日 (土)

『生命とは何か』 シュレディンガー

岩波新書で出ていた本書を買ったのはもう相当以前なのだが、読まないうちに、岩波文庫が出た。新書のことはすっかり忘れていて文庫を買ってからもずいぶんたつのだが、福岡伸一さんの『生物と無生物のあいだ』を読んだこともあって先日やっと文庫の方を読んだ。もちろん中身は同じ。

ワトソン、クリックを初めとして、生命科学系の人々が、この本から多くの影響を受けていることはよく言われている。実際、ここで展開されているのは、物理学に基づいた生命現象の理論的な解明であり、物理学者が余技として生物学に挑戦しているのでも、物理学的な観点から生物学を批判しているのでもない。超自然的な説明や神学的な話題に傾くこともなく、哲学的な独断も最小限に、素朴に物理学の基本法則を認めた上で、それが生命現象のどこにどのような制約を与えて今あるようないきものの形を生み出しているのかを考察するやり方が徹底してとられている。つまり、方法論的な見通しのよさがとても顕著なのだ。それは原理的に思考されていて、無視して通れるような試みや思いつき、あるいは哲学的な無責任な予想図などではなく、この問題に挑む科学者ならばどこかの時点で何らかの形で通過して消化しなければならない理論的な枠組みとして思考されているということを意味している。この点がいちばん驚いた点だ。新書版のあとがきで、「本書の一〇年後に確立された分子遺伝学への基本路線を示したのです。」というのは少しもおおげさでないと思うのだけど、それは、つまるところ本書の主張の理論的な枠組みの強さ(著者は量子力学や統計力学の物理学こそが枠組みだと考えていたと思うが)に由来していると思えばよい。哲学的な議論が少し出て来るが、それはむしろ驚くほど陳腐。後書きで、訳者のひとりの鎮目恭夫さんがこの最後の部分にこだわっているが、こちらもどちらかというと鎮目さんのもうひとつの関心分野である性科学の方に強引に話題を結び付けて自説を宣伝しているようなところがあり、本書の重要性の主たる構成要素とは無関係である。

福岡さんの本にも出ていた生物の大きさがなぜこの大きさなのかという議論は本書の初めの方に出て来る。これは、つまるところ生命現象が統計物理の支配するマクロ・レベルの現象でしかありえないことについての考察なのだが、その思考が徹底して物理的であることには少し感動する。物理的な法則を生命現象に適用する手つきは、原理的な考察を進めるとはどのようなことかを学ぶいい手本になると思う。

遺伝についての比較的長い叙述の中では、放射線によって生殖細胞に含まれる物質がイオン化されることにより突然変異の起こる確率が上昇することがそのメカニズムも含めてきちんと書かれていて、人類が放射線の影響を徐々に受けることの問題に警鐘を鳴らしている。本書が発行されているのは第二次世界大戦中で、原爆もまだ落とされる前のことである。もちろん自然放射線の影響はそれほど大きくないこともきちんとふまえられていて、自然の突然変異は分子の熱運動の偶然の揺らぎによると説明されている。

福岡さんの本でも生物が負のエントロピーを取り込むことでエントロピーの増大に対抗する存在であることが述べられていたが、シュレディンガーは、このように述べている。

 生きている生物体はどのようにして崩壊するのを免れているのでしょうか?わかりきった答をするなら、ものを食べたり、飲んだり、呼吸をしたり、(植物の場合には)同化作用をすることによって、と答えられます。学術上の言葉は物質代謝(メタボリズム)といいます。この言葉の語源のギリシャ語(μεταβάλλειν)は変化とか交換を意味します。もともとこの言葉の裏にある観念は、疑いもなく、物質の交換ということです。(英語ではmetabolism といいますが、ドイツ語ではStoffwechsel[物質交換]という言葉を用います。)物質の交換が本質的なことであるとはおかしなことです。窒素、酸素、イオウ等々のどの原子もそれと同種の別の原子とまったく同じものです。それらを交換することによってどんな利益が得られるのでしょうか? [中略] 

 それでは、われわれの食物の中に含まれていて、われわれの生命を維持する貴重な或るものとは一体なんでしょうか? それに答えるのは容易です。あらゆる過程、事象、出来事-----何といってもかまいませんが、ひっくるめていえば自然界で進行しているありとあらゆることは、世界の中のそれが進行している部分のエントロピーが増大していることを意味しています。したがって生きている生物体は絶えずそのエントロピーを増大しています。-----あるいは正の量のエントロピーをつくり出しているともいえます-----そしてそのようにして、死の状態を意味するエントロピー最大という危険な状態に近づいてゆく傾向があります。生物がそのような状態にならないようにする、すなわち生きているための唯一の方法は、周囲の環境から負エントロピーを絶えずとり入れることです。-----後ですぐわかるように、この負エントロピーというものは頗る実際的なものです。生物体が生きるために食べるのは負エントロピーなのです。このことをもう少し逆説らしくなくいうならば、物質代謝の本質は、生物体が生きているときにはどうしてもつくり出さざるをえないエントロピーを全部うまい具合に外へ棄てるということにあります。(p.139 [太字は原書では傍点 :注])

福岡さんの本にあったシェーンハイマーの思想まではほんのひとまたぎである。本書で記述されている科学的な事実や理論はどれも著者独自のものというわけでもないはずだ。しかし、それらに基づいて、生命とは何かというテーマを分解し問題を分類し理論的な切り口を明確にしながら個々の課題について考察し、全体として生命に関する理論的な説明をくみ上げて行く姿の力強さは西洋の自然哲学の長い歴史を感じさせる。今読んでも、ほとんど色あせることのない感じを受けるのは、ガリレイの天文対話などと同じで、地に足の着いた議論が事実に即して展開されているためだ。予備知識を限定すれば、誰もが同じ疑問を抱き同じ検討経緯をたどり同じ結論にたどりつく。科学は、そのようなことが可能な方法であり、それが科学を科学たらしめてきた本質でもある。初めにも述べたように、これは哲学ではなく科学である。生命科学の端緒がここにあるというのは、そのようにとらえるべきものである。

| | トラックバック (0)

2013年6月 9日 (日)

『岡井隆詩集』 現代史文庫 200

岡井さんは、戦後を代表する歌人の1人としてしか認識がなく、詩も書くのは知らなかった。高見順賞もとっているというのだがら立派なものだ。思潮社の現代詩文庫200冊目としてアンソロジーが編まれるのだから昨日今日の詩人でもない。ほんと、知らなかった。

収録されているのは、以下のとおり。

『詩集 <限られた時のための四十四の機会詩 他>』 全篇

『詩集 <注解する者>』 全篇

『<木曜便り>』 全篇

『歌集 <眼底紀行>』 から

『<木曜詩信> 抄』

『<天河庭園集 [新編]>』 から

『歌集 <中国の世紀末>』 から

『組詩 <天使の羅衣[ネグリジェ]>』 から

『歌集 <神の仕事場>』 から

『詩集 <月の光>』 から

 その他、詩人論、作品論 等。

最初の二詩集で全体の半分くらいあり、そこまでを丁寧に読み、それ以降はざっと。

後書きによれば、「機会詩」としてまとめられているのは、目覚めてから覚醒までの短い時間に書いたものとのこと。日記を書くように詩を書くということはありえるが、この作品群はその逆。一日の始まりに、その一日の澱もたまっていなければ、感想も疲れも感情も高まらない状態でまるで日々のおつとめのようにして書かれたもののようだ。まとまり、一貫性、迫力、主張、感情などとは逆の何か。ただ、午睡のあとということもあったようだけど。この詩群が僕にはいちばん面白かった。たとえば、こんなの。

今からどこへ行くにしても

嘘の八ちまたをまたぐことなしには

夕ぐれの自分の中へ帰れはしない  

             (「夕ぐれの自分」)

もう今人々は始源を問ふこともない

ただ終焉を予想してゐる

             (「始源といふ神話」)

 

思ひがけなくゴーヤが出た

帰って来てみれば 押しやった筈の荷は

こちらへ戻って来て 暑い

             (「思ひがけなくゴーヤが出た夕餐」)

戦後詩の定番の雰囲気があって、どことなくほっとするゆるい感じが心地よい。肩いからせて作者も書いていない分、読む方も素直に読める。読んで感動するわけではないが、多少の共感が残り、同じ時代を生きているものとして挨拶くらいはしておこうかという気になる。これが代表作にはならないだろう。しかし、これは「あり」だなと思った。

もうひとつの、『注解する者』は高見順賞をとったというもの。注解する者とは、作者自身。短歌には、解釈・注釈がつくものだが、そのような仕事をしている者として、また、宮中と関係のある歌人として、自分を客観視した時の自分である。これも面白かった。散文なのだ。散文詩ですらなく、普通の散文であったり、句点のない散文であったり、解説文のようであったり。しかし、それらを通じる割り切れなさは、詩としか思えない作者の意志に守られていて、字面通りの散文として受け取ることを拒んでいる。読んでいて、これは何なのだろうとたびたび思った。普通に散文として読むと、率直に言えば、つまらないものも多く入っている。それがこの組み立てを通して、注解する者=作者を注解し浮かび上がらせる。つまり、これらの断片的な文章は、作者自身に対する作者自らの注釈のようになっているという仕掛け。

全体に、一種のひねたくそじじいの手遊びといった趣があり、読んで心が洗われるような要素は皆無だ。何のカタルシスもなければ、感動とも無縁。作者の、晩年に近づいている人生の一局面におけるお遊びととれる面もないわけじゃない。しかし、何なのだろう、このやられた感。ただひねくれてるだけではない。このスタイルには、簡単にまねのできない何かがあるのだ。それなりの修練があったことは確かだと思う。『<木曜便り>』は、昭和30年代の作品だし。そして、手あかにまみれていない何か。それがあれば、とりあえず詩はもうそれでいいじゃん、という何か。

注解者の作品を下手に注解しても野暮なだけだ。気になる人は手に取ってみてほしい。悪くないっすよ。

| | トラックバック (0)

『ロシア宇宙開発史 気球からヴォストークまで』 冨田信之 

幼稚園の頃、親が何を思ったか世界文化社から出ていた小学校高学年向けの『科学図鑑』という全24巻シリーズの図鑑をとってくれていた。確か月一回ずつ送られて来るのだが、字が読めないので絵本代わりに読んでいた。ほんと、なんで幼稚園児にあれをあたえたろう。その第一回目が「宇宙」だった。初めてそれを手にした時のことはよく覚えている。もう何度も何度も繰り返しながめたし、表紙から何ページかと裏表紙は失われ、方々破れているけど、今でも大切にもっている。この本が僕の人生を決めたようなものだ。実際、とてもよくできた図鑑シリーズだったと思う。実際、中学校初年くらいまで役立ってくれた。5巻まできたところで引っ越し、親がおそらくは無精から転居の手続きも何もしなかったらしくて、それ以降の巻はもっていなかったのだが、数年前に思い立ってヤフーオークションで少しずつ全巻そろえて大事にしまっている。

ロシアの宇宙開発については、その図鑑で覚えたことがほとんどすべてかもしれない。元々、日本では、一般向けの啓蒙書みたいなのばかりで宇宙開発に関する専門書籍はあまり多くないのだが、ロシアの宇宙開発となったらもっと少ないのではないだろうか。本書は、その数少ない貴重な文献になることは間違いない。豊富な資料、取材に裏付けられた長年に渡る著者の研究の集大成であり、我が国において宇宙開発同様に手薄な技術史に関する文献としてこれほど気合いの入った書物は例外的なのではないかと思う。宇宙開発の歴史に関心がある人だけではなく、国家主導の技術開発のあり方や大規模技術開発に関する参考資料として、あるいは、ロシアの歴史に関する資料としても価値がある。そうしたものに関心がない人でも読むといろいろと面白いことがあるのではないかと思う。本書は、国家管理の巨大技術というものがどのような運命をたどるのかについてひとつの貴重なサンプルとしても重要な文献と考えられるからだ。少なくとも、僕個人としては、最近読んだものの中では飛び抜けて面白かった。

ところで、技術開発史をまとめるのは、科学史をまとめるのよりもやっかいなのではないかと思う。科学と違って、技術は企業や国家機密に類する扱いを受けるものも多く、特に宇宙開発は常に兵器開発と裏表の関係にある。東西冷戦時代には、宇宙開発も東西の競争下にあったし、東側の状況についてはなかなか伺い知れぬ状況が続いていたはずだ。本書でも、当時のソビエト連邦における宇宙開発の徹底した秘密主義が述べられている。失敗が公表されず、関与した技術者も秘密にされる(当のロシア人技術者が、アメリカのオープンな開発の進め方をうらやむ姿が紹介されているところがあるほど)。しかし、本書を読んで驚くのは、そうした状況が完全に過去のものとなったらしいことだ。スターリン時代の大テロルの嵐の中で如何に多くの技術者たちが逮捕され、強制労働させられたり銃殺させられたりしてきたかも史料に基づいて叙述されているくらいで、本筋の開発に関する叙述については、この手の研究や開発プロジェクトに少しでも関係したことがあるものには、おおよそ状況が想像できるくらいの資料が提供されているといっていいと思う。思えば遠くに来たものである。

第Ⅰ部は気球に始まるロケット開発史の前史から概ね第二次世界大戦まで。よし知られているツィオルコフスキーだけでなく、ツァンデル、コンドラチェクなどのパイオニアがその業績とともに丁寧に紹介されている。後のアメリカに先駆けて実現した人工衛星や有人宇宙飛行における主要人物コロリョフやグルシコも登場し、ロシア革命後、スターリン時代の大テロルで逮捕されてしまうあたりの狂気は『収容時群島』などでよく知られたものだと思うが、技術者に起きていることとして自分に引き寄せて考えると背筋が凍る気がする。また、ロシアのロケット開発の原点は、ドイツのA-4(いわゆるV2)ロケットであることも非常によくわかる。ドイツからつれてこられた技術者も当初活躍したようなのだが、ロシア人が技術を習得した後は用済みとなっていく過程は、韓国企業に移籍した日本人技術者の状況を思い起こさせるものがある。ちなみに、子供の頃、ロケットというと挿絵などで描かれていたロケットのイメージはほぼV2で完成している。ロシアに限らず、世界中のロケットの起源はここにある。

第Ⅱ部は、そのV2技術の習得に始まり自主開発が軌道にのるまで。今ではよく知られるようになったバイコヌール宇宙基地もこのころにできている。宇宙開発は、おそらくは米国との関係からスターリンとフルシチョフは熱心に後押ししている。スターリンは、核ミサイルの実現についての開発も指示していて、現在のロシアの宇宙ロケットはそのミサイルの転用なのだが、ロケット開発の起源はロケット弾にあり、ソビエト国内での宇宙開発は常に軍事と一体的な枠組みの中で行われて来たことは覚えておくとよいと思う。米国のNASAは、軍事開発は行わないが、DoDやNASAの契約企業はボーイングやロッキード・マーチン、グラマンなどで共通である。使う技術も似たり寄ったりなのだから当然とはいえ、背中合わせで仕切られている米国よりも、その融合度合いは高い気がする。

第Ⅲ部は、スプートニクからヴォストーク、ヴォスホートの有人飛行あたりまで。もちろん、それ以後もロシアには宇宙開発はあるわけだが、概ね、前述のコロリョフの死去くらいまでを叙述して筆者は筆をおいている。これは、第二次大戦後のドイツの技術の吸収から始まったロシアにおける宇宙開発の歴史を描くところに本書の目的があったからだ。

本書から紹介したいことは山ほどあるのだが、いくつかを。

(1)ソユーズの起源は、1950年代の長距離ミサイル
 上にも書いたように、ソ連のロケット開発はV2の技術の導入に始まり、長距離ミサイルを開発することから本格的に始まっている。長距離ミサイルは、航空機で運んで投下する核爆弾よりも確実性の高い核弾頭の輸送手段として構想されているのだが、これを宇宙用に転用したR-7と呼ばれるロケットがソユーズだ。ロシアの宇宙技術の著しい特徴のひとつは、相当に古いものが現役で用いられている所で、ソユーズはいまだに使われているが、その基本技術はこの頃に開発されてから改良され続けて今に至っているのだ。ソユーズは、スカートをはいたような特徴的な形状をしているが、あれはブースタである。R-7は、そのブースタを取り付けた構造をしている。R-7の基本構想は1954年に承認され、開発政令が出されている。基本的な計画は同年中に完成、1957-1958年に設計確認のための発射試験が行われ、1957年8月の打ち上げで初めて成功している。今は、2013年、56年もたっているのにソユーズはまだ現役。

(2)ガガーリンの着陸点の謎
 ガガーリンの乗船したヴォストークは、帰還の時には、乗員はカタパルトで放出されて帰還する機体とは別にパラシュートで降りて来る形だった。これは、しばらくのあいだ続いたのだそうだ。宇宙からの帰還というと、耐熱性の機体に守られてパラシュートで降りて来る光景が眼に浮かぶが、その形になるまで時間を要した。ところが、アメリカではそのような形で戻って来ることを成功と呼ばないのだそうで、そのため、このことは長く秘密にされてきたのだという。ガガーリンがどこに降りたのかについてはそのため諸説あるということだが、抄訳されているガガーリン自身の報告によるとどこかの畑とのこと。

(3)ライカ犬
 スプートニク2号で宇宙を初めてとんだ犬として有名な犬である。候補の中から選ばれたのは性質がおとなしくて、狭いケージでもあばれないなど性格のよさがあったらしい。本書では、7日間生きたが船内の温度上昇で死亡したとされている。元々、帰還を前提としていない機体のため、船体は大気圏で燃え尽きてしまっている。生体の情報はテレメトリ(観測対象から離れた地点から様々な観測を行い、そのデータを取得する技術)情報として取得されていたので、反応がなくなった時点は分かったのではないかと思うが、このWEB記事によると実は打ち上げ後すぐに死んでいたのではないかということ。出典をたどる余裕が無いので関心がある方は調べてみてください。本書では、このスプートニクは二ヶ月で完成したという記述があるが、このWEB記事はそれも誤訳からの情報としている。本書は、基本的にロシアの文献に依拠して書かれているようなのだが、前述した秘密主義や虚偽の発表が普通だった旧ソ連の状況も考えると、本書にも今後多くの訂正が必要となることは注意しておく必要がある。それにしても愛犬家としては、ちょっとこの実験だけは許せない。その後もソ連では犬を使った実験を繰り返しているのだが、ヴォストークの開発段階で初めて犬の生還に成功したのは、1966年のベルカとストレルカの二頭の時。

(4)テレシコワ
 初の女性宇宙飛行士だが、指示に従わない、文句を言う、地上に戻ると泣いてばかりいて要領を得ないみたいなことがあって、ロシアではしばらく女性宇宙飛行士は使わないことになったらしい。宇宙飛行士は、主として軍隊から選ばれていて、帰還後は地位、名誉、収入が約束されるので人気の職業だったようだが、現在の宇宙開発でもそうであるように、搭乗員の選別は厳しく行われている。健康は前提、知識、協調性、言語、性格、等々の選別基準のなかで当時は性別があったということだ。むしろそれがロシアで、しかもテレシコワが原因だったというのは少し意外。

最後に、著者が、ロシアの宇宙開発では有人飛行が抵抗無く受け入れられているが、それにはロシア特有のコスミズムが背景としてあるのではないかと最後のところで書いている。面白いのでちょっと引用しておこう。

 コスミズムは、「すべての生物の宇宙的・全的統一をその研究の中心に据えた哲学的・宗教的思潮の総体」とロシアの百科事典では説明されているが、その背後には、神と人との一体化を説くロシア正教がある。ニコライ・フョードロフの影響も受けたウラジーミル・セルゲーエヴィッチ・ソロヴィヨフという一九世紀後半に生きた思想家(哲学者、詩人)り唱えた「全人類と宇宙を分けることのできない完全性としてとらえる生命と存在の概念」がコスミズムの哲学的基礎を作ったと言われているが、ソロヴィヨフは、物質文化と精神文化の統合を、段階を経ての人類の道徳的進化とその結果としての神と人との全的統一に求め、その段階の中に、人間が宇宙に広がってゆくことが含まれていた。そして、二〇世紀になって、ウラジーミル・イワノヴィッチ・ヴェルナツキーという広範な分野で活躍した学者が、独自の科学理論に基づく宇宙観で、コスミズムを理論的にさらに強化している。コスミズムは、ロシアの文化的状況、風土、宗教(ロシア正教)などが生んだロシア独自の思想で、表立っては出てこないが、ロシアの宇宙活動の底流に無視できない存在としてあるのではないかと思われる。(p.465)

【注意】

僕が読んだのは、2012年8月発行のものだが、東京大学出版会のWEBサイトに「お詫びとお知らせ」が掲載されている。2012年2月刊のものは注意が必要。

| | トラックバック (0)

2013年5月12日 (日)

『Research & Design Method Index -リサーチデザイン、新・100の法則』 Bella Martin (著), Bruce Hanington (著), 小野 健太 (監修), 郷司 陽子 (翻訳)

リサーチとデザインに関する手法のカタログである。知っているのもあれば、これに名前をつけるのかというのもあったり、こんなやり方があるのかと思ったり。値段が少し高いけど、仕事に行き詰まった時に打開策のヒントくらい得られるかもしれない。システム開発でも企画や設計局面で応用が聞く手法が多数ある。それこそ、KJ法みたいなのもちゃんと入っている。たとえば次のようなもの。

  • 行動マッピング
  • オートメーテッド・リモート・サーチ
  • ボディ・ストーミング
  • ビジネスオリガミ
  • カードソーティング
  • ケーススタディ
  • 認知地図
  • 認知的ウォークスルー
  • 概念地図
  • コンテクスチャル・デザイン
  • カスタマー・エクスペリエンス調査
  • デザイラビリティ・テスト
  • エルゴノミクス・アナリシス
  • エビデンス・ベースト・デザイン
  • アイトラッキング
  • フオーカス・グループ
  • グラフィティ・ウォール
  • ヒューリスティック評価
  • KJ法
  • 狩野分析法
  • KPI
  • メンタル・モデル・ダイアグラム
  • マインドマップ
まだまだいっぱい。ひとつの手法につき見開き2ページ、左側に解説、右側に図解となっていて大変見やすい。コンサル、マーケティング、リサーチ、企画・開発、等々。効率重視というだけではなく、科学的な手法に裏付けられた知的生産技術みたいなものの適用や方法論を意識した仕事はどんな分野でも今後ますます重視されるだろうけど、それは試行錯誤をできるかぎり最小化して余暇を増やすためでもある。それぞれ、このスペースでは食い足りない所もあるだろうけど、必要なら探せば文献はいろいろとある。若手もベテランも、仕事の計画をする際に使えるツールボックスだと僕は思いました。眺めているだけで楽しい。ちょっと高いけど。

なお、『Mac Life』を出していたBNNが倒産してずいぶんたつが、この本は、BNN新社から出ている。復活してたんですね。なんとなく本のつくりがかつての『Mac Life』を思い起こさせる。まずはよかった。

| | トラックバック (0)

『眼の海』辺見庸



その辺見さんの震災後に出た詩集である。作品の執筆時期も震災以降、2011年の5月から10月に限られている。

この作品をどのように言えばよいのか、この間感想を書いた『死と滅亡のパンセ』と対でどうしても考えてしまうのだが、全体を通じて感じたのはたとえばこんなことだ。

  1. 東北の海で多くの死者というよりも死体が顧みられることもなく朽ちていくことについての強い絶望的なイメージがある。著者は、何度も海に帰って行き骨やら内蔵やらと対話して納得いく答えを探そうとあがくのだが、見つからない。
  2. 失われてしまったものがきれいに消えたのではなく、汚辱にまみれてそこに存在し、自分はそれを黙って見ているという強いイメージがある。抜け出したいのだが、眼をそらすことができない。言語化したいのだが、与えることのできる言葉はない。しかし、沈黙することも許可されていない。
  3. 墓が根こそぎ海に持ち去られ、根拠としてきた過去も同時に海に持ち去られた。海に浮遊する骨が恨み言を言っているような観念が絶えず去来し、なんとかしてやらなければならないのに、手をこまねいている。詩人の過去に対するイメージをひとつずつ点検して現在からみたそれらの変質してしまった未来をせめて詩の中で開拓しようともがいている。

これは、挽歌であり、後悔であり、抗議であり、絶望であり、諦めであり、出口なしであり、原民喜の『夏の花』のようなドキュメンタリーでもある。実際に死体と瓦礫で混濁した海辺に筆者が出かけたのかどうかは分からない。しかし、詩人としての辺見さんは、そのことについての強烈な当事者意識に苛まれているのだ。

すでにゲル状になった数枚の影。
どうにもならないのだ。
ああ、月の薄片。
わたしはすべてを置いて逃げたのだ。
わたしはすべてを残して逃げたのだ。
(「満月」)

逃げ出してここにいる詩人は、失われたものを探さずにはいられない。それは、たとえば、一本の小指だ。

わたしはあなたの左の小指を
さがしている
陶製のように白く細く
気どって反った小指を
さがしている
一本の鉄のトングをたずさえて
瓦礫の原をわたしはすすんでいる
しずしずとすすんでいる
つまみ めくり しげしげとながめる
あふれかえる物体=モノと部位たちは
他のモノと部位たちから ばらけ
なにひとつ整合しないのに
虚勢された貧民らで超満員の大集会場のように
いやに整然とし
焼けた土倉のにおいをはなち
ひとつひとつ 蕭条とたたずんでいる
もう反乱のおそれはない

(「わたしはあなたの左の小指をさがしている」)

さがすのをやめたら
わたしもモノとなって
荒れ野によこたわるほかない
愛などないあなたの左の小指を
愛があると信じこませて
あなたの欠けた左の小指を
ついにかきいだくために
トングたずさえ這いまわる

(「わたしはあなたの左の小指をさがしている」)

詩人は、何度も海辺に引き戻され、骨や骨壺や死体と対面している。おそらくは、現地にも出向かれたのではないだろうか。いや、出向いていなくてもたいした問題ではない。起こった事態がどういうことかは手に取るように分かる。そのイメージは、強烈な終末感とともに黙ってすべてを見ることを詩人に強制する。それを続けるうちに、むしろ見ている自分の眼が、海を生み出す転倒に至りつくほどに。

しずまりかえる 眼のおくの化野
が予言した
まだ見たこともない
地割れがきて
かつてなく聳然たる大波が
またも化野を洗うであろうことを
徹して洗いつくすだろうことを
それでもなお ノアザミが咲くだろうことを
それでもなお 死者たちの肺に
求める ことばは あてがわれないだろうことを
この眼から ふたたび 海がふきでるだろうことを
化野は割られ ただ洗われるだけの 化野であろうことを

(「眼の化野」)

本書は、全体が「眼の海」と題された前半と、「フィズィマリウラ」と題された後半に分かれている。どちらかというと発生した事態に対処することに追われている切迫感に満ちた前半にくらべ、後半はすこし緊張が緩む。弛緩しているわけではなく、緊張の連続から疲労して直接的な感情を抑制した表現から広がりをえていっている感じを受ける。しかし、それは、当初覚えたどうしようもなさに対して何かができる余地をどんどんそぎとられ無力化され怒りに対して立ち上がるすべも忘れさせられた私たちの姿と微妙にかぶる無力感のなかで描かれるより深い絶望とともにあるようだ。

「その中の人、現し心あらむや」 
わたしは裸でかがみ
シャギシャギ シャギシャギ
しきりに爪を噛み爪をそいで
そうやって
とっつきの部屋にかくれ
シャギシャギ シャギシャギ
すべてへの無害をよそおい
すべてへの無抵抗をよそおい
そして
シャギシャギ シャギシャギ
すべてに無害となり
すべてに無抵抗となった

(「とっつきの空き部屋で爪を噛み爪をそいだ」)

その朝、気がついたらば、
ぼくもあなたも、渚の近くのヒトヨタケ。
傘たれて、うつむいた、
しおれて冴えないヒトヨタケ。
恨まない、恨まれないヒトヨタケ。
次から次へとわいてくる、
顔をかくしたヒトヨタケ。
そこいらじゅう、
かれもかのじょもヒトヨタケ。

(「ヒトヨタケ Coprinopsis atramentarius の歌」)

これは、鎮魂ではない。反対だ。死者が、あるいは過去の死者までもが大量にあまりに多くの死者が海にあふれ、死者の魂を鎮めることがないように絶えずわめいてでもいるかのように、著者を脅迫しているのだ。鎮魂?冗談ではないと。

あるのは、死体ですらない。もう、それらはただの骨だ。眺める以外、何ができよう。詩人は、ただ、眼となって己の眼から海がふきでるまで、そこに止まることしか許されない。一個の記録者として徹しようとした『夏の花』の原民喜のように、自らが見るものをただ書き留めることしか、生き延びたものが抱えるどうしようもない虚無をやりすごすすべがなかっただけなのだ。そう、ここにあるのは夥しい虚無だ。死後の世界だし、新約聖書の前、旧約聖書のカオスだし、まだ物事が始まる前へとリセットされていない混沌だし、イザナギとイザナミが日本列島を生み出す前でもある。秩序立てて物事を遂行することはまだ許されていない。ただやってくるものを受け止めるのでもなくやり過ごす以外に方法がない。

この詩集が中原中也賞を受賞した理由は僕にはよく分からない。テクニカルな意味で、詩の善し悪しを論ずる力は僕にはあまりないし、読んでものすごく感銘を受けて確かに後世に残るいい作品だと思ったなんてこともないからだ。ただただ、ここに書かれていることのどうしようもなさの切迫感に黙り込むだけなのだ。他に、何も書けないのでこれを書いているのだという切迫感。しかし、詩にとって、それが詩人にとって避けられないものであるということが、直ちに、それが本物であることを証明するわけではない。小手先で生み出されるもの、「書き方」を試されるようにして書かれるもの、そうした作品が優れた詩たりえることはあるし、たとえば、谷川俊太郎さんの多くの詩は必然性がないところから組み立てられている優れた作品の代表例だ。必然性が終わった所からどうするかは、プロの詩人にとってはむしろ本質であったりもする。その意味では、辺見さんのこの詩集には素人臭さがあるのも事実だと思う。詩法として緩いところがあって退屈したりするところがあるという意味で。でも、前作となる『生首』よりも圧倒的にこちらが優れていると僕は思う。前作は、正直つまらなくて読むのを放棄してしまったがこちらは最後まで読めた。『死と滅亡のパンセ』でも書いたことだが、この後の辺見さんの作品にむしろ注目したいと思う。何となくだが、作品を生み出すのが不可能な場所に自ら赴いているように思えなくもないからだ。作品を生み出すというより、作品を殺すために詩を書いているとしか思えない部分がどうしても残るからだ。なぜ、そのようなテロまがいの感情に辺見さんはつきうごかされているのか。

この詩集は、まだ僕にとっては遠い所にある。遠い所の出来事として眺めざるを得ない地域性というか、空間的な断絶をどうしても感じてしまうのだ。僕たちが詩人のいる場所に入って行くのは容易ではない。むしろ、簡単に理解されたくもないと強く思われているはずだ。孤独とか孤立とかとは違う。孤絶といったほうがいいかもしれない。この詩集は、僕たちが生活している空間とは切り離された場所で編まれている。それは、詩人にとっては根拠であった土地がひっくりかえされた後にあるカオスそのものであって、それを抱え込んだまま震災以降の死を生きている。それがこの詩集だと思う。

大波がその後にきて
おとこもおんなも他の者たちも
みな沖につれさり
解体し
おびただしい
他の屍とともに
ふたたび
盲者と唖者の部位を
陸に戻した
黒い雪がななめにふっていた
盲者と唖者は かつて
あり をり 侍り
他の死とともに 死んだのだが
他の死と かならずしも
おなじではない
なにもかも
美しく統べてはならない
骨から花へ
骨より花に

(「それらの骨のなかにある骨」)

なにもかも美しく統べてはならない。そういう場所に詩人はいた。それから二年、辺見さんはどのような場所にいるだろう。とうとう日本は原発再稼働が当然であるかのように語られ、震災も津波もなかったかのようにそれらについて語ることがうっとうしがられる状況にまで至り始めている。本当は、まだ怒り足りないはずなのに、誰もが怒るのに疲れ始めている。こんな状況がやってくることは重々承知だったはずの辺見さんは、この状況をどう感じているだろうか。

| | トラックバック (0)

より以前の記事一覧