カテゴリー「まじめな話」の記事

2013年3月11日 (月)

震災から2年

まだ2年なのかということにむしろ茫然としている。

この2年でこの国は「救国内閣」に政権交代し、ものすごい勢いで右傾化している。その「救国内閣」の幹事長は、昨日こんなお粗末なことを言い出している。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130310/k10013095331000.html

「国民の生命・財産が危機にさらされた時や国家が存亡の危機にさらされたときに、国民の生命・財産を守り、平穏に回復させるため、国民の権利を一時的に制限するのは、どの国でも当たり前のことだ」

この男は、権利の意味をまったく理解していないのだ。災害時、戦時に権利・財産を守るための義務が課されるというのならまだ分かる。賛成はしないまでも。どこの国に権利を制限する憲法があるのか示してもらいたいものだ。仮にあったとしても、だからどうだというのだ。我が国の憲法が邪魔で、国が好き勝手にできないから憲法に盛り込んでおきたい。国民が国に協力するのはあたりまえだといいたいだけじゃないか。自民党の最悪な憲法草案やそれを擁護する馬鹿な発言を繰り返していた片山さつきなどの議員連中と本質的には同じ穴のむじななのだ。

この2年のうちに、状況はここまで悪化してきている。右傾化がすべて悪とはいわない。左翼がいいとも限らない。だれであれ、イデオロギーやマニフェストだけでゆるされる政治なんてものはないからだ。だから、国民の判断が都度微妙にゆれながら進む事もいたしかたないことだ。しかし、この発言が公然となされていることに腹が立たなかったとしたら、むしろ保守政治家たちは失格なのではないか?しかも、これは大震災の場合の話しとして述べられているのだ。自民党がこの議員を放置するなら、そこまでだと思う(放置するだろうけど)。これが国家主義の内閣でなくて何なのだ。自由とも民主とも何も関係がない政党であることを、元々明らかだったけど、改めて自ら公言しているのと同じだからだ。原発廃止もTPP不参加も選挙用の宣伝文句として許容され、選挙後にあっさり否定され、それを掲げて当選した議員からも文句が出ているのはこの政党の現在の状態をよく表している。

一方、被災地はどうなのだろう。この二年で風景がどのように変化したか、いくつか写真をみた。被災地への支援も人・物・金のいずれも弱くなりつつある報道も目にする。関心もまた。

自分はといえば、出かけて行く事が不可能な中で何をしたらいいかを考えて個人的にやれることをやってきた。それはものすごくささやかな貢献しかしていないのだが、それでもだんだん熱心さが薄れてきていると感じている。それには、いくつか理由があると思う。

ひとつは、もはや緊急対処の時期を過ぎて、日常として事故を捉える必要が出てきていること。つまり、緊急に対処できるところは、妥当なものもそうでないものもあるにせよ、対処してきていると考えられること。意見はいろいろあるにせよ、それなりにそんなにひどくない水準で対応がとられている分野もすくなくないという印象はもっている。今残された問題は、もともと時間がかかる問題か、より根本にある問題の解決が必要な問題のどちらかだと思う。

ふたつめは、国のやり口がほぼ見えてきていて、個々の調整事項に類することはともかくとして、より深い問題の根については、当面解決の見込みも兆しも無く長期に追求するほかないことがはっきりしていること。いつものことだが、主要な争点については、国の立場で国の論理で概ね押し切られているのだ。この種の問題については、水俣病のように国家の隠蔽が関与しているものがある。緊急対処でそれなりにうまく行っているのと比べて、国の立場を打ち出して押さえ込みにかかっている問題ほどろくでもない結果になっている。

みっつめは、自分の仕事や生活の拠点である東京は大きな問題がないことから(東京の放射能汚染の問題は時々言われるほど深刻とは僕は思ってない[局所的には無論問題な箇所もあると思うが])、すでに人々の傷が癒え始めていることだ。オリンピックの招致活動を熱心に進めているのはその現れで、むしろお祭り騒ぎで沈鬱さや停滞感を吹き払いたいくらいな気分が生じ始めている。忘れようとしているわけではないにせよ、今、その話題を出すのか?というムードが蔓延するようになった。このムードと戦うためには、ふたつめで述べた長期の見通しが不可欠だ。個別の課題を消化しながら個別の課題を通して、根本から状況を変える努力を続ける以外に僕にはうまい方法がみつからない。

つまり、切実な問題としてとらえるには問題が拡散しすぎ、残された問題は国ごと変える覚悟で望まなきゃならない厚みで横たわっているということだ。僕は、名もなき一技術者でしかないし、それでたくさんだと思っているけれど、この問題と対処する実際の現場が、自分の職業の現場、自分のWebやSNSの現場であるのを割と真剣に信じている。要するに、自分が他者とかかわり、社会と関わるすべての場面が自分にとっての現場であって、そこでの貢献以外に自分に何かができるとはあまり思っていない。

そのようなわけで、ここからはフェーズ2だ。

| | トラックバック (0)

2012年3月16日 (金)

吉本隆明さんの死について

今朝、7時丁度に目が覚めた。目を開けると、7時のニュースが始まったところで、吉本さん死去のニュースが流れた。浅田彰が当たり障りのないコメントをしていた。ひとつ年上になる僕の父は一昨年86歳で亡くなったのだが、吉本さんはひとつ多く87歳まで生きられた。昨年だったか、一昨年だったか、インタビュー記事を読んでいて、これからの課題みたいなのをご自分のものとして語られるのに驚嘆したことがある。引退だとか、もうやめたよというような雰囲気はみじんも無い。最後まで、自分の道を歩き通されたのだと思う。

吉本さんの一番大きな業績は、表現に関する理論である。吉本さんの表現概念は、三浦つとむさんからの示唆を受けつつも、基本的には初期マルクスに色濃くある、そして資本論の基盤をなしている自然の自己発展に関わる思想から来ている。これは、疎外や上部構造・下部構造として知られるマルクスの概念を形作ったが、吉本さんの著作では、表現概念の根底にそれがある。大著、『心的現象論』も『共同幻想論』もこの表現概念の展開の枝葉であり、個に下って行けば『心的現象』、類に上って行けば『共同幻想』という形で展開し、議論の多い対幻想が追加されて吉本さんの主要著作の骨格ができあがっている。その出発点が『言語にとって美とは何か』の「表現」概念なのだ。80年代に書きつがれた、『マス・イメージ論』や『ハイ・イメージ論』は、その表現概念をどこまで広げられるかの苦闘の跡と見ることができる。これは、成功しているかどうかよりも、その挑戦自体が大変に価値のあるものと見なければならないと思う。アジア的とかアフリカ的という概念も、マルクスに依拠しながら、この自然発展の延長上で世界認識が可能かを考えたものだ。その意味では、吉本さんは、自分はマルクスの系譜に属する仕事をやっているという自覚はもたれていたのではないかと思う。『資本論』は、経済学の理論としては現在は破綻していると言っていいのかもしれないが、その根底にある自然哲学はまだ死んでいない、それが吉本さんのこの何十年かの仕事の根本的なモチーフであったはずだ。

僕は、吉本さんのこの表現概念を、そのまま自然に返すことを考えている。つまり、僕は、宇宙は表現だとかんがえているのだ。宇宙が表現としての構造をもち、その構造の上で自己展開するから、われわれは表現の呪縛から逃れられずに、自己を表現として自然発展させる他ない。われわれが創り出す物は、思想、概念、芸術表現のようなものですら、宇宙が提供するメソッドにのっとらずに作れる物はない。というよりも、宇宙の部分としてのわれわれは、宇宙として考えたり、表現をする他にやりようがないのだ。われわれは、骨の髄まで宇宙でしかない。このことを徹底して考える必要がある。エンゲルスは同じことを相当無邪気に『自然の弁証法』で展開した。吉本さんは、おそらくそれを、つまり唯物弁証法などはほとんど信じていなかったのではないかと思う。僕は、唯物弁証法こそ信じていないけれども、エンゲルスがかすった何かにまだ可能性があると考えている。

吉本さんの著作には随分危ういところがある。ロック・スターのファンが、あたかもそのスターの表現を自分のもののように錯覚することがあるように、吉本さんの本を読んでいて共感するところが多いほど、読者は吉本隆明のように語りたくなるのだ。それが、あたかも自分の思想であるかのように。知らぬ間に読者ににじりよって征服してしまうような危険性といえばいいだろうか。信者などと揶揄される人が出てくるのには理由があるのだ。嫌いな人は、そういうところに敏感に反応して遠ざかるということもあるに違いない。カリスマ性というのは簡単だが、これは吉本さんの書く物の文体の問題、文学性の問題である。文芸批評家とか評論家という肩書きで整理されていることも多いが、それは仕事の分類上の話だ。理論的な話をしている時も、常に文体を崩さなかった。自分の文体を作り上げて、その線上を一直線に歩んだ。その線上で、詩も評論も文芸批評も古典論もイメージ論も信仰論も文化人類学的な南東論も思想的な著作も書かれたのだ。肩書きで生きない、自立した思想家として。

原発の推進を止めては行けないというインタビュー記事が雑誌に出たのを立ち読みしたのが多分最後の記事ではないかと思う。正しく理解されていないようだが、吉本さんの原発推進は推進派の推進とは言っている水準が違う。科学もテクノロジーも後戻りできないという宿命の元にあり、克服しようとするなら前に進む他ないのだという思想を述べているだけであり、これは、前述したマルクスの自然哲学のそのまま延長上にくる考え方だ。僕もそう思う。技術を責めたって仕方ない。しかし、問題になっているのは、その点ではなく、技術的な信頼性や安全確保の点で問題が残るものを、その問題を明確にしないままに建設していたことがこのたびの事故でほとんどばれてしまった所にある。やり方を替える必要がある。問題は、技術にあるのではなく(もちろん、技術上の問題はそれはそれとしてあるのだが)、技術の実現方法、その政策決定過程や実行過程にあるのだ。その最後の雑誌記事を読みながら、もはやそこまで言及できない吉本さんに心の中でお別れを言ったことを言っておきたい。発言に老いを認めたからではない。それが掲載された舞台を見抜く力が残っていなかったことに対してだ。

そのようなわけで、いつか、僕が真実を口にすると、人々が僕を吉本系の人と見るかもしれないという妄想によって、僕は吉本さんについて書くことにした。なんとか系と見られる恐れがあるようなものは何もないわけだけども。まだ。父が死んだ時に、自分の書いたものをまとめて読んでもらうことが永久にできなくなったことに少し凍り付く思いがした。吉本さんが僕の書いた物を読む可能性は元々なかったわけだが、もし万が一にもそういう状況になれたら、どういう批判がもらえるのか妄想しなかったわけではない。しかし、実際に検証してみることは、永久にできなくなった。人が死ぬということは、そのように人との関係性が無限に遠くに去るということだ。この無限に遠ざかる距離は、表現の喪失そのものだ。そこで、人の表現としての展開が終わり、生をのせて進めてきた直線は途絶える。他者との通信も途絶える。吉本さんの死は、衰え方、死に方、極めて自然で、何も言うこともない。静かに、いなくなったんだなという感じがするだけだ。

著作や作品を通して知っている人であれ、身近な人であれ、死に接する回数が増えてくると、この表現の終わりを終点としてではなく、始点として捉えられないのかという思いが強くなる。そのようにしてしか、人間は死を乗り越えることなどできないのではないかと。

吉本さんにお礼を言いたい。著書を通じて随分学ばせてもらった。これから、いい加減、自立して歩き始めることで、せめてもの供養になればと思う。

吉本さん、さようなら。

(3/25 少し修正)

| | トラックバック (0)

2010年11月13日 (土)

死について(1)

私が、死の恐怖に最も苦しんだのは小学生の時だ。自分がいつか死んでしまうものであるという観念は、ふとしたきっかけで膨張し、胸をしめつける。夜寝ていて居ても立ってもいられなくなり布団から跳ね起きて両親の顔を見にいって安心するということがよくあった。言葉で死の恐怖と簡単に書いているが、本当は少し違うのだと思う。自分がいつか確実に死んでいなくなること、その予定が変えられないという想念に苦しめられていたといったほうがいい。死そのものを恐れていたというより。夜寝ているとき、ある固有夢に結びついてこの恐怖の観念が現れて増殖することが最も多かった。どこまでいっても出口のない観念のループが急激に頭を占めて回転数があがりパニックに近い状態に追い込まれる。死の観念に対する恐怖は、観念の内部でのフィードバック機構が働くために自分で制御できなくなるところがあるのだが、そうした精神状態を平常状態に戻すにはどんなやり方であれ、この想念のループから出てしまう以外にない。その居ても立ってもいられない精神状態は、文学作品の中で一度だけ出会った事がある。遠藤周作の『沈黙』の中で、狭い部屋に監禁されたパードレの感じる死の恐怖の表現がまさにそれなのだ。私の拙い表現で伝わらないようなら、そちらを参照してもらうといいと思う。

これは、根拠は全くないと思うので、完全に私の思い込みと思ってもらえばいいのだが、この恐怖がやってくるのは私が帝王切開で生まれたのと関係しているのではないかと勝手に考えている。産道をくぐらなかったこと、つまり未生の状態と生の状態の間の道を自らくぐりぬけずにこの世に来てしまったことで、無意識の中に何らかの欠如を抱えてしまった可能性があるのではないかと疑っているのだ。生は死ぬべき個体が生じることであり、初めから死を内包した個体を生み出すことだ。人間の一生が、生と死の間での振幅として表現できるとすれば、その原点において生と死が結び合わずに、開放端になっているのが恐怖の源泉なのではないか。産道は死へ向けての旅立ちの第一歩を進める路であり、生まれたがらずに羊水につかっていた自分がそこから引きずり出された時に実は死へ向けての誰もがたどる道を外れ、未生のままに死に向かうという矛盾をかかえこんだのではないかということだ。そのため、いつも原点を振り返ってばかり居る。もう一度念のために書くけど、これは私の思い込みで何の根拠もない。むしろ比喩と思ってもらった方がいいのかもしれない。帝王切開が原因というよりは、自ら死の方へ歩みださなかったことが問題なのだというように。自ら、産道をくぐりぬけるのは、死へむけての第一歩を選択することなのではないか。選択したものは、振り返らない。私は、選択しなかった。

芥川龍之介の『河童』は、その意味では自分にとっては大変に印象深い作品だ。

以前、どこかのデパートで開催された展覧会で芥川の自筆の原稿を見た事があるが、初期の『羅生門』や『鼻』の時代は原稿用紙の升目いっぱいに飛び出さんばかりの勢いのある文字を書いているのに、『歯車』や『河童』になると豆粒のような文字が升目のまんなかに小さく書かれるようになる。一目見ただけで病んでいることが明らかな筆致なのだ。そうしたなか、生まれたくない者は生まれなくてよい『河童』の世界を書き、河童にこのように語らせているのだ。

         年をとった河童は僕の顔を見ながら、静かにこう返事をしました。
        「わたしもほかの河童のようにこの国へ生まれてくるかどうか、一応父親に尋ねられてから母親の胎内を離れたのだよ。」
        「しかし僕はふとした拍子に、この国へ転(ころ)げ落ちてしまったのです。どうか僕にこの国から出ていかれる路(みち)を教えてください。」
        「出ていかれる路は一つしかない。」
        「というのは?」
        「それはお前さんのここへ来た路だ。」
         僕はこの答えを聞いた時になぜか身の毛がよだちました。
        「その路があいにく見つからないのです。」

                芥川 龍之介 『河童』より
     (青空文庫から引用:http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/69_14933.html)

ふとした拍子に転げ落ちて、帰り道を探している「僕」。この狂人は、出生の時点において死を見失っていると考えている私の「思い込み」と同じ欠如を抱えているのではないか。出生の時点での誤りだから、そこに戻らざるを得ない、出ていかれる路は、「お前さんのここへ来た路」しかないわけだ。生まれたくない者は生まれなくてよいという妄想自体、私の羊水時代の夢ではないかと言えば言える。

芥川の出生に複雑な事情があったらしいことは有名である。帝王切開かどうかはともかく、豆粒のような文字をかくようになった神経衰弱の時期に原点に向けて収縮しながらひたすら命を削るだけの消耗戦を戦っていた芥川の姿は本当に目に浮かぶようだ。この想念のループは増殖するし、ほっとけば破滅してしまうしかないもので、ただ一つの対処はそのループから抜け出ることなのだ。しかし、どうやら芥川はそのループにつかまり原点に向けて収縮する勝ち目の無い戦いに進んでいってしまった。原点に戻れば、このループから出られるというのは妄想に過ぎない。芥川は、続いて、『歯車』を書き、『或阿呆の一生』を書いて亡くなってしまった。私には、これは大変象徴的なのではないかと思える。

私は、今年、平成22年の1月に父を亡くした。死の想念に苦しまされる頻度は減ったが、実はなくなった訳ではない。子供の時ほどの頻度がないだけで、何も克服されていない。それでも、以前は、父や母が居た時にはこれほど死について考えなかった。死については、そこまでの現実感が無かったからだ。父が死に、母もそう遠くないことを認識するにつれ、自分が子供の頃の父と母の立っていた所に立たされているのに否応無く気づかされる。次は、自分なのだ。死の恐怖におびえる子供をなだめるのは私の役目なのだ。

親の死は、人生は全て現実なのだということを再確認する機会だ。子供の頃の満ち足りた世界は、親の死と共に消滅する。未生の状態から生に移行してから、しばらくは人間は親の懐で、生のカーブにそって育てられる。普通に育てられれば、大抵の子供は死の恐怖に襲われる体験などせずに成長するのではないか。死に向けてのゆるやかな下降線は親が背負っているから見えない。それを自分が自らのものとして本当に意識するのは、親が死んでからなのだ。こんな歳になっても、親は生きているというだけで、子供を守っているのではないかという気がする。

| | トラックバック (0)

2010年10月27日 (水)

デジタル・コンテンツとは何か(2)

今度発売される宇多田ヒカルのベスト盤二種類のうち片方は本人の意思と無関係に発売されるので買わないでほしいといったことを宇多田ヒカルがTwitterでつぶやいた事が話題になっていた。これは前回述べたのと全く同じ問題だ。つまり、コンテンツの作成者で所有者であるアーティストと、それを流通させる商品の制作者間での契約関係が制作者側に有利になっているという問題だ。

ベスト・アルバムは、もし自ら選曲し新たな作品集とするなら、作品を選択して集めるという行為そのものに意味がある。これは、未発表曲を入れるかどうかということにはあまり関係がない。たとえば、ビートルズの赤盤/青盤は曲の選択に重要な意味があり、ジョージ・マーティンとビートルズの最後の共作アルバムとも考えられるものだ。たとえ、未発表曲がなくても。アーティストが、自分の作品を選択し、あるいは補って作成したアルバムは、たとえ「だとしても寄せ集めだろう」という意見があっても(もちろんあってもいいのだが)、アーティスト名を冠した作品集足りうる。自選集や拾遺集は、文学の世界でもよくあるし、それらは、出版社の都合で適当に寄せ集めた文庫本なんかとは少しだけ意味が違うのだ。

レコード会社が適当にみつくろったものは、その意味では寄せ集めの文庫本だと思えば良い。その編集の手腕にもよるだろうが、作品を二度流通させるための方便以外のものではないのはその目的からして当然だ。John Lennonの死後オノ・ヨーコのパートを外した「ダブル・ファンタジー」に他の曲を組み合わせた「ベスト盤」が出たが、そういうユーザーの「便利」のためにアルバムを作るということは他のミュージシャンでも普通にやられているし(それこそJohn Lennonですら)、例をあげればきりがない。世界中のレコード会社であらゆるミュージシャンに対してそのような編集盤が作られているではないか。それらは、ミュージシャンのエゴの領域にある「作品」の制作としてではなく、そのCDの利用者のニーズに合わせたパッケージ商品の制作として行われている。目的は、既存の作品の組み合わせからあらたな需要を掘り起こしてビジネスにするためである。その行為がミュージシャンのプライドを傷つけるのは当然だし、今回の宇多田ヒカルの反発もその意味ではすごくまともな反応だと思う。

ただ、実情をまったく知らないで言うのだが、金を出し、人も出し、機材もスタジオも提供し、場合によっては渡航費やホテル滞在費やスタジオ・ミュージシャンへの支払いなんかの諸々の制作費全部を負っているので、できあがった作品を売る権利は当然保持しているというのなら、アーティストの意思もへったくれもない。そういう契約なら、契約どおりに勝手にアルバム作られても何も文句は言えまい。報道では、原盤権がレコード会社にあるから仕方ないのだという説明が多いのだが、恐らくはこの権利が問題の根源なのではないか。

作品を着想し苦労して仕上げたアーティストは当然その作品をどうにでもする権利をもつ。法律的なことは知らない。しかし、これは、法律にどう書かれていようが自明なことなのだ。作品は、アーティストの意思で生み出されるものでありその生殺与奪権は手を離れるまでアーティストにある。ところで、音楽の制作現場のさまざまな場面でプロジェクトに関わり「クリエーター」とししてではなくても制作をバックアップしたレコード会社なら、制作した楽曲からの収益を最大にしたいと考えるのも当然のことだ。個々の楽曲についてなら明確に著作物であるから手を加えられないが、それらの組み合わせ方を変えるだけならなんら問題はないのだろう。恐らくは、個々の楽曲のマスターに対して個別に独占的に販売する権利をもっているためにそれらの組み合わせによる販売も何ら問題がないのではないか。こうした勝手なパッケージングは、アルバム単位で作品を考えるミュージシャンにとっては越権行為以外の何ものでもないだろうが、そのアルバム単位での作品という考え方は契約的に担保されていない、というのがもめる原因になっているのではないかと推察する。

こうした音楽作品や文学作品の流通においては、出版社やレコード会社が、マーケティングや販売チャネルの開拓、広報・宣伝、金や権利の管理、あと何があるのかよくわからないけど、そうした商品流通に関わる機能だけを担っているのではないのだろう。彼らは、明らかに複製技術の進展に伴う権利ビジネスや作品のパッケージングの仕方による付加価値ビジネスのようなものについてまで作家やアーティストの権利をうまくおさえこんで支配権を及ぼしている実態がありそうだ。最近になって、電子化の進展でそうした構造が一気に露出してきた感じがある。作品の制作者は、素人が思っている以上に弱い立場にいるのではないかということが、外部のものにも何となく察せられるようになってきた。

その主な原因は、電子書籍でもCDでも流通するのはコンテンツではなくコンテンツをおさめるコンテナであり、そのコンテナ制作のインフラと流通手段をこうしたメディア企業が支配しているというところにある。講談社の契約書ひな形は、その利権の喪失に対する危機感を出版社がむき出しにしている様子を目の当たりに見せてくれた。宇多田ヒカルのツイートは、それと同様の問題が音楽業界にもとうに潜在していることを垣間見せてくれた。結局のところ、そうした商品を購入するわれわれ消費者は大半の金額をコンテンツそのものに対してではなく、制作・流通システムとコンテナに対して支払っていることになるわけだ。

楽曲のダウンロード販売や書籍のダウンロード販売は、この制作・流通システムとコンテナに対する費用を劇的に下げる。古いインフラが淘汰されるのは当然の流れだと思う。組み合わせの妙味は、楽曲単位の販売を可能にしたiTunes等によってとっくに薄れている。こうしたリパッケージ・ビジネスはまだ当面は生きながらえて話題になれば案外CDも売れるかもしれないが、もう先が無いと私は思う。

| | トラックバック (0)

2010年10月25日 (月)

デジタル・コンテンツとは何か

池田信夫が、「講談社の「デジタル的利用許諾契約書」について」というブログ・エントリーで契約書の一部を引用している。この契約書の内容については、ネットで議論になっているようだが、確かにいろいろと興味深い点がある。出版にも知的所有権にも素人の私から見ても、これは出版社に都合の良い契約に思える。そのまま素直に読めば、著者は著書のデジタル化を出版社に一任し、出版社側では自ら作成したデジタル・コンテンツについてはどのように販売しようがいちいち著者の承諾を求めなくてよいというのがその内容である。これは、作品(著者ではない)の囲い込みであり、電子出版がたちあがり始めた国内の状況を見ながら、まずは自社の扱う出版物についてデジタル化の優先権をとりあえず確保しに走っていると見るのが正しいのではないか。

ただ、この契約書の是非については、池田が言うようにカルテルの疑いがあるならともかく、そうでないなら個々の契約相手である著者がビジネスライクに判断して必要だと思えば見直しを求めればよいことで、議論するような問題にはならない。出版だってひとつのビジネスにすぎない。本を企画してから出すまでには相当の人手だってかかっているだろうから、自社で作り上げた書籍をみすみす流出させられないだろうし、将来的には日本語コンテンツの取り合いが始まる事は目に見えているので、自分の持ち玉を確認しとかなければ勝負にならないだろうということは容易に推察できる。

私が指摘したいのは次の二点だ。

一つ目は、ひょっとすると電子出版に限らず一般的に著作者と出版社の間での契約というのは、こんなもんなのではないかという点だ。つまり、契約書はあらかじめ出版社が作っていて判を押させるだけで、著者側との協議の余地なんかほとんどなく賃貸住宅を借りる時とか銀行ローンを借りる時とかの契約と同じで、内容説明して判を押すだけになっているのではないかということだ。出版の企画時点で決定した費用構造の中で概ねやれることは決まっているだろうから、印税だって著者の希望で勝手に変えられない。これだけの文言から推し量るのはもちろん粗雑に過ぎるが、何となく硬直し固定化した契約形態が浮かんでくる。

電子書籍の本質は、紙の出版物の置き換えとか流通形態の変革とかいう問題だけではなくて(それは確かにそうなのだが)グローバリゼーションの波が出版分野まで押し寄せてきている点にあると思う。相手にする市場規模が電子出版は初めから違うのだ。いずれは、好むと好まざるとに関わらず、要求される仕事の質も内容も変わってくる。日本語の壁の内に安住している内は、こうした変化の重要性にはなかなか気づかないかもしれないが、これまでのようなルーチンで仕事ができる世界は終わってやがて大きな変革期に突入していくはずだ。硬直化した商習慣で乗り切れるほどこの波は小さくないと私は思う。

これは、二つ目の問題と直接関連する。二つ目の問題は、ここで言われているデジタル化とは何を指しているのかということだ。この短い抜粋にはそれが何かが書かれていない。もしも、デジタル化がデジタル・データ化(デジタル・コンテンツにすること、電子書籍のフォーマットにすることでもよい)であるなら、今時はパソコンで執筆する著者も多いだろうから、原稿の段階で既にデジタル・データのはずである。これは、いったん出版社に渡してしまったら利用できないデータになる。この条文を素直に読めば、著作者自身もそのデータをデジタル的に利用してはいけないことになっているからだ。それは、また、自分の著作物をデジタル的に読む事も排除するのかと聞きたくなるところだ。

では、ここでいう「デジタル・コンテンツ」とは何なのか。しかも、その「デジタル・コンテンツ」は出版社側が「所有」するとか書かれている。デジタル・コンテンツを所有するとはいったいどういう状況なのだろうか。当然のことだが、その「デジタル・コンテンツ」の複製を販売することを考えているのだろうから、そのマスターのことをさしているのだろうが、この条文からはそうは読み取れない。しかし、文章で書かれた作品にとっては、それが文学作品であろうがノンフィクションであろうが、その文章こそが「コンテンツ」だ。デジタル・データにしてどのような意匠をほどこそうが、それはメディアの違いにしか過ぎない。紙でできた本の代わりに、電子的なコンテナにのせて流通させるだけのことだ。

この契約は、そこを意図的に誤解しているのか電子化されたコンテンツの著作権を出版社に帰属させるように求めているかのようなのだ。電子的なメディアの管理なら制作した出版社がやるのは当然だし、その販売の権利について著者から買い取って契約期間については独占的に販売することも現在の商習慣に照らしてなんら不思議なことではない。だが、ここでは「デジタル・コンテンツ」に対して別種の著作権があるかのように書かれている。まるで小説の映画化と同じように、デジタル・コンテンツ化によってそれに固有の著作権が生じるかのように主張しているのだ。マルチメディア作品に仕立て直すというのならともかく、電子出版用のフォーマットに直しただけで独自の著作権を主張されたら話しはややこしくなる。そんなものは当然ながら「コンテンツ」ではないからだ。

この契約がひな形として浸透していけば、この誤解も浸透する。「デジタル・コンテンツ」として別の実体を与えられた作品は、紙の本とは別の作品なのだ。そのような論理で、出版に際しての出版社の既得権をどこまでも主張されることが増えるのではないか。私には、この契約条文は、佐藤秀峰の試みなどを念頭において、作品を著者の自由にはさせないという意思を出版社が明確にしたものとしか思えない。

電子出版の問題については、少し私なりに今後も追いかけていこうと思う。出版は、音楽などとくらべても権利ビジネスがまだ発達していないような感もあり、電子出版がそのパンドラの匣をあけてしまう予感がする。

| | トラックバック (0)

2010年10月18日 (月)

父の死から

父は、今年の1月18日に死んだ。父の死は、私にいろいろなものをもたらした。介護の問題、法律の不備やシステムの不備に対するやり場のない怒り、会社の同僚の優しさへの気づき、父の孤独、淋しさへの無理解についての後悔、そして死とは何かという問題。これは、だれかが言わなければいけないのではないかという問題もある。こんなことは、わざわざ世間に公表することでもないのではないかという問題もある。

しばらく、それらの問題と向き合ってきてつくづく感じたことがある。自分が感じたことを表現しなければ、誰もかわりにそれを表現してくれることはないだろうということだ。父は、無口な人間だった。強い口調で何かを言い張るなんてことはあまりなかったが、自分で決めたことに干渉されることには猛然と反発した。正しくないことについては、徒党を組むことなく、たった一人で反対した。それが、ほとんどのひとに聞こえないような小さい声だったとしても、自分の考えをまげることは決してなかった。私は、父の生き方を尊敬している。反発していた期間が長かったので、尊敬という言葉をなんの気恥ずかしさも感じずに口にすることができる。自分は、まだかなわないという気持ちが今更ながらわいて来たからかもしれない。

これから、誰かが言わなければならないと思ったことを少しずつ述べていくことにする。まずは、行けるところまで。その次には、また別の仕事が待っている。

| | トラックバック (0)