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2013年11月の記事

2013年11月 3日 (日)

『マヨラナ 消えた天才物理学者を追う A Brilliant Darkness』 ジョアオ・マゲイジョ João Magueijo/塩原通緒[訳]

マヨラナの名前は、初等量子力学を学んだ後、量子電磁(電気)力学 (Quantum Electrodynamics=QED) を勉強していると出て来る。僕は、学生のときに J.J. Sakuraiの “Advanced Quantum Mechanics” を輪講で読んでいる時に出会ったのが最初だと思う。今インデックスで引いてみると、ディラックの Hole Theory の説明のセクションにパウリなどの名前と共に出ている。ディラックの Hole Theory は、SF 的な文脈で語られることも多い反物質についての端緒となる理論で、真空は負のエネルギーをもつ電子で満たされていると考え、その粒子の欠如が正のエネルギーをもつ正電荷をもつ粒子すなわち陽電子とみなされるというものだ。マヨラナは、このディラックの解決策が気に入らなかったらしい。最近存在することが確実視されるようになりつつあるマヨラナ・ニュートリノは、このあたりに起源をもつようなのだが、その当のエットーレ・マヨラナ本人は、1938年に失踪し今に至るまで行方不明のままだ。ただ、エットーレの生年は1906年だから存命だったとしたら、もう107歳ということになる。

僕も駄目学生なりに物理を勉強はしたので、マヨラナの名前と失踪したらしいということくらいは知っていたのだが、本国イタリアでは多くの謎解き本が出版されたり漫画やSFの題材にも取り上げられるなど相当の有名人のようだ。著者は、マヨラナに関する資料のコレクションと関係者への取材に基づいてその失踪した物理学者の一生を追いかけ、その失踪の謎を様々な説を引きながら検証する。本書の特徴は、そのような失踪の謎を考える作業が、マヨナラ・ニュートリノを初めとする彼の仕事の現代物理学における意義を明らかにする作業と絡み合いながら進むところだ。著者のマゲイジョは、ポルトガル出身で現役ばりばりの理論物理学者だ。本書に出て来る物理の説明はどれも丁寧に概念の本質を外さずに描かれていて、たとえばディラックの陽電子に関する理論、カイラリティに関する説明やパリティ非保存の説明など実に分かりやすくて感心する。ファインマン・ダイヤグラムも何の抵抗感もなく導入されていて見事だ。特に興味を引かれるのは、マヨラナの未完成交響楽として説明されている1932年の「任意のスピンを持つ素粒子の相対論的理論」と題された論文に関する説明だ。これは、ディラックの「電子の海」と反物質の理論に対抗して作られたものだ。少し引用する。

 基本的に、エットーレがとったのは相対性原理-----この宇宙に特権的な観測者はいないということ-----だけを頼りに説を導くという大胆な方策であり、彼の方程式では電子を記述する必要もなく、スピンを持っていて、相対性理論と矛盾しないものが記述されていればよかった。電子は最後の段階で、その「何か」のひとつとして必要になるだけだった。もっと数学的に言うと、エットーレはローレンツ群の無限次元表現を考えたのだ。実際、エットーレがやったことは、ディラックの方法よりもいっそう直接的な「相対性理論と量子力学を統合するもの」だった。一九二七年のディラックがエットーレの示した道をたどらなかったのは、いささか意外だとさえ僕には思える。

 ディラック自身、自分の方程式から二種類の粒子、つまり物質と反物質が出てきたことに衝撃を受けていた。それに代わってエットーレが見いだしたのは、粒子が無限に積み重なるタワー(塔)のようなもので、すべての粒子が同じ方程式によって記述され、量子力学的な波に統合される。これらは低エネルギーでは別々の粒子(電子を含む)に分かれて広がって、粒子の虹をつくるように見える。この虹のそれぞれの「色」が、別々の質量とスピンを持っているのだ。しかし、ディラックの電子と陽電子がそうだったように、もっと深いレベルにおいては、これらは異なる顔を持つ同一の物体だった。しかし決定的なのは、エットーレのタワーにおけるさまざまな粒子が(電子と陽電子とは違って)異なる質量を持っていたことで、そのためエットーレはどれか一つの粒子だけを扱うことができた(現代の専門用語を使うなら、残りを「分離」することができた)。エットーレり理論では負のエネルギーも反物質もないのだから、もうディラックの海に頼る必要はなかったのである。

まるで現代のスーパー・ストリング理論を思わせるような思想の大胆さがありながら、実際には陽電子が実際に発見されたことでディラックの理論の正しさが証明されてしまったわけで、このことはマヨラナを少なからず落ち込ませたようだが、筆者はこのマヨラナの理論は物理理論の統一を果たすための宝であるとまで言っていて少し驚く。これだけの説明ではこの理論の何がそこまで思わせるのかは分からないが、この本の隠れたモチーフのひとつは明らかにこの忘れられた理論に再び光をあてて、エットーレ・マヨラナの仕事の現代性を主張することだったと僕には思える。これは、確かに物理の本道の仕事としてはやりにくいだろう。

しかし、本書の大部分はマヨラナ失踪の謎に迫るルポルタージュのような伝記のような記述だ。フェルミがリーダーとして活躍したバニスペルナ研究所に集ったメンバーの描写などは大変興味深い。徹底して俗物として描かれるフェルミ、原子爆弾開発プロジェクトに参加したことを自慢するいやな奴セグレなどなど。これだけを抜き出して映画にしても面白かろうと思ったら、すでにそのような映画があるらしい(日本未公開)。物理に感心がなくてもこの本は謎解きの面白さ、人の歴史の面白さに満ちていて多くの人を引き込むことと思う。今年読んだ本の中でもずば抜けて面白かった。この著者、ただものではありません。翻訳もよく申し分なし。ただ、いささか値段が高い。これ、やはりそんなに売れないということなんでしょうか。多くの人に読まれていい本だと思うのだが。

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