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2013年8月の記事

2013年8月26日 (月)

『朝永振一郎 プロメテウスの火』 江沢 洋 編


震災以来、主として物理畑の人々がどのように原発導入に対応してきたのかを調べて来たのだが、本書は朝永さんが発言された文章や座談などが収録されている。いろいろ思う所もあるが、今回は、いくつかメモとして引用するにとどめる。

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 たとえば子どもにマッチを持たせると危険であるが、いつまでも持たせなければ野蛮人のようにマッチのつけ方も知らないものになる。ところでマッチをつけてみせると、早速とんでもないところに放火する心配ができる。子どもの場合はある程度教えることによって導くこともできるが、教育も受けつけない異常性格者がマッチを持ったらどうなるか。「第二の火」といわれる原子力に対しての物理学者の悩みはここにある。しかもその成否の鍵を原子力物理学者が握っているような印象を世人は持っている。どこまでがわれわれの責任か----と、特に日本の場合、僕たちはいらいらとして来さえする。(「暗い日の感想」 『自然』1954年8月号に初出。)

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 彼の書いた「私は水爆完成をおくらせたか」(『中央公論』、六月号掲載)を読んだが、感じられることは、そのときどきで立場は変わるけれど、その時における態度が異常にはっきりしていることである。はじめに超然と研究一本やりで、ラジオも聞かず新聞もよまない。それがスペインの内乱やドイツのナチスの暴虐に怒りを感じて突然政治に関心をもちはじめ、いろいろな運動に参加し共産主義とも交わる。原爆を作ることに決まると全力をあげて専心する。水爆の計画が出ると徹底的に反対するが、大統領が決定声明をすると、反対の立場はとにかくとして客観的に計画を考えてみる。この態度がその時ではっきり違うという行き方が、日本人とは大変違うところがあって、彼の場合、単なる時流の低級な便乗者とちがって、良心的であればあるだけ、そして自己の職責を強く意識すればするだけ、そういう行動をとらざるをえないのである。行動はすっぱりと割切れていて、単に時流に流されているのではい。絶対にハムレットみたいではないし、むしろ自ら進んで歴史の動きに働きかけようというのである。

 この行き方の善悪は僕には判断できないが、また僕個人としてこんなに割切った強い行き方は出来そうもないが、ここに良心的で純粋な科学者のひとつの運命をみせられ、ひどく暗く淋しい気持ちにさせられた。このように傑出した科学者とても、そしてただ単に時流に流されているのではないのにかかわらず、その時流に超然などということはできないのはもちろんだが、自分で歴史に働きかけたと思った瞬間、今度は歴史によってどうにもならない目に合わされる。何かよくわからない巨大なものの手でいやおうなしに動かされて行く。オッペンハイマー自身は、自分の変動を自分自身の進歩であると感じているようだが、東洋人の僕は何となく運命というようなことばを使いたくなる。心の弱いことである。

 この事件はアメリカ自体のみならず、二十世紀の世界全体の矛盾、これから起こるであろう人類の悲劇の一つの面を象徴的に示しているように、僕には思われる。(「暗い日の感想 オッペンハイマー」 『自然』1954年8月号に初出。)

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 ところで、この成果自体に文句はないとしても、それに驚嘆した人々のなかに、数量化こそ科学の力の源泉である、という早まった考えが生れ、その結果、数量化できない科学は不当に冷遇される傾向がでできたのです。しかし、今の例でみましたように、われわれが取り上げねばならないシステムは、数量化できない各種の科学をその中に組み入れないと無意味な結論しか得られないようになっている。(「人類と科学」 ユネスコ全国大会での記念講演、1972年6月10日、日比谷公会堂、『中央公論』1972年8月号)

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 そういうわけで科学というものは、はたして良いものであろうか、という疑問がいろいろな人のあいだに出てきました。科学者のあいだにも出てきたわけです。つまり自然というものがそのままではなかなか自分の素顔をみせてくれない、したがって自然の中にある非常に普遍的な、あらゆるものについて成り立つ法則を見付けだそうということになりますと、どうしても自然に働きかけて、これを人工的に変えてやらなければならない。(「物質科学にひつむ現在」 共立出版創立五十周年記念講演、1976年6月28日、朝日講堂)

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しかし核兵器開発競争の加速度的進展と核兵器保有国の急激な増加傾向の成行きを軍事専門家にまかせただ手をこまねいて見ているわけにはいきません。(「新たなモラルの想像に向けて」 『世界』1975年12月号に初出)

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今から二十年前、ラッセルとアインシュタインは、その宣言の終わりに言っています。「……私たちは、人類にむかってうったえる------あなたがたの人間性を心にとどめ、そしてその他のことを忘れよ、……(We appeal, as human beings, to human beings; Remember your humanity, and forget the rest…)」と(湯川秀樹・朝永振一郎・坂田昌一編『平和時代を創造するために』、岩波新書、一九六三年、一七九頁)。ここに言われている人間性(原文は傍点 --注、以下同じ)という言葉を、われわれはすべての人間が持つところの、その生き続けるための智恵と解したいのであり、また忘れよと言われている他のことは、当時はイデオロギー、国籍、人種、宗教、等が含意されていましたが、現在の状況のもとでわれわれはそれをむしろ価値観を退ける狭い専門家的思考形式であると解したいのであります。(「新たなモラルの想像に向けて」『世界』1975年12月号に初出)

第三回パグウォッシュ会議

111ページ

この声明は相当長いもので七章からなっているが、はっきりと核戦争のみならずすべての戦争を廃絶すべきことをうたっている。すなわち、たとい軍縮協定が結ばれ、核兵器がすべて放棄されても、核兵器を作る知識を捨て去ることはできないこと、したがって一たん戦争が始まれば、いくらかでも工業力を持っている国は核兵器をつくりそれを使用する誘惑に打ち勝つことは極めて困難である。したがって戦争そのものを人類社会から抹殺しないかぎり、結局人類は破滅に打勝つことの危機からのがれることはできない、というのがその趣旨である。・・・略・・・戦争放棄という考えは、理想主義の夢にすぎないとしばしば言われるが、核兵器を作る知識を人類が獲得した時代になっては、それはどうしても実現しなければならない現実の課題になったのである。(「パグウォッシュ会議の歴史」)

167ページ

アメリカの原子力政策

田中(慎次郎(一九一々 --- 一九九三)朝日新聞東京本社記者、論説委員(当時)。 ) 日本の原子力研究をやる場合、一応、日本で何から何までやる建前でしょう。ところがこれは相当長くかかる。ところがアメリカの原子力政策がかわってきて、横からこっちにつながってくる場合もある。その角度は二つある。一つは軍事的な面、もう一つは平和的・産業的利用の面です。アメリカ全体の考え方は、米ソ対立の中でアメリカのいわゆる自由世界を軍事的にも、経済的にも強化するというのが大きな目標なんです。その目標の中で原子力情報をいままでよりも、軍事的面および産業の面で、外国に対して少し拡げようというのが今日の原子力法改正(原注:原子力法改正 アメリカの原子力法は一九四六年に制定されたが、この座談と同年の一九五四年に、原子力の商用開発・利用を活性化する方向に大幅改正された。)の根本の趣旨です。軍事的なほうはアメリカと共同防衛関係にたつ国と防衛計画および原子力戦のための兵員訓練に必要な戦術的情報(原子力兵器の戦術的利用に関する情報)を交換できるようにすべきだという。もう一つは平和的利用のほうで、一般の技術情報のほかに原子力の産業利用に関するある種の制限されたデータの交換および産業的・研究的利用に適当な量の核分裂性物質のリリース(release, 供給禁止解除)ということを言っている。これらが可能になるように原子力法を改正してほしいと、教書で大統領が言っている。分裂性物質をリリースする場合には、受領国が軍事的目的に使用しないという保障がなければならぬといっているから、それで兵器を作らせる考えは含まれていないようです。そこまではよいのですが、情報、ないし核分裂性物質のリリースをやる場合の条件が五つある。一つはデータの機密性と重要度から判断する。第二は情報の受領国がいかなる目的にそれを利用するか、第三番目は相手国の security standard, 機密取締り法規の備わり方の状況ですかね。法規ばかりではない。その国の国情として漏れやすいという場合もふくまれる。四番目は自由世界防衛におけるその国の役割、アメリカの世界政策に協力する度合とか役割の大小、五番目は相互安全保障努力に対し、その国がいかに寄与したか、また寄与できるか、この五つの項目を基準にして、一つ一つアメリカの利益になるか、ならないかを考慮して情報をやる程度とか範囲とか、やるやらぬを決める。

(「日本の原子力研究をどう進めるか」『科学』一九五四年五月掲載)

191ベージ

田中(同上) 略・・まずアメリカが原子力について諸外国と協力関係に立つ場合にどういう種類と範囲の禁止情報を提供するのかというと、これは第一四四条により次のように規定されております。平和的利用の面と、軍事的利用の面と大きく二つに分けて、まず、平和的利用の面から言いますと、(Ⅰ)鉱石から原子力燃料にするまでの工程、(2)原子炉、(3)原子核燃料の生産、(4)衛生安全、(5)原子力の産業利用、(6)上記の諸項目に関する研究、となっております。軍事的利用の面では、(1)防衛計画の作成に必要な情報、(2)原子兵器の使用ならびに原子兵器防禦のための兵員訓練に必要な情報、(3)潜在敵国の原子兵器能力の評価に必要な情報、であります。しかしいかなる場合にも、原子兵器の設計製造に関する秘密情報は提供しないことになっています。・・略

 次に、協力関係に立った諸外国に提供し得る原料資材の範囲はどうかと言いますと、(Ⅰ)第五四条により原子核燃料、(2)第六四条により鉱石、(3)第八二条により原子炉からの副産物(主として放射性同位元素)、(4)第一〇四条により医療ならびに研究の諸施設(小型の原子炉なども含まれる)が規定してあります。

 以上のうち、平和的利用の協力は原子力委員会が個々の諸外国と、軍事的利用の面は国防省が個々の諸外国または地域防衛組織(たとえばNATO)と agreement 〔協定〕を結ぶわけです。これらを ‘agreement for cooperation’ 〔協力協定〕と定義します。

 このような原子力に関する協力協定には、厳重な条件があることはもちろんで、これを規定したのが第一二三条 ‘Cooperation with Other Nation’ 〔他国との協力〕であります。協力協定にどういうことが明記されなければならぬかといいますと、これは大切ですから正文をそのまま申し上げます。

(略)

 軍事的情報には機密はつきものですが、平和的利用についても、たとえば(2)によって、機密保持のアメリカ的標準が相手国にもちろこまれる恐れがある。また、(3)は軍事目的への転用防止の保障を要求するもので、そのこと自体は当然なのですが、それによってアメリカの要求する control system 〔管理形態〕相手国にもちこまれることになりましょう。

(略)

 原子力法改正の背景として考えられるのは、一つは経済的な理由で、今日アメリカでは核分裂性物質の生産が非常に増えているから、原則的には経済学でいう効用逓減の原則が働くわけです。これを免れるためには大きな爆弾ばかりつくっていてもしょうがないから、いろんな種類の戦術原子兵器をつくって効用逓減を避けるということがかんがえられる。もう一つはなおかつ余ってくるから、なんとかして国際的な市場を作って売らなくてはならなくなる。売るといっても上述の如く外国ときっちりした協力関係を築いた上で売り、同時に後進国に原子力発電などを起こさせて、そこの経済力を培えば、またそれは自分たちの陣営全体としての力となる。アメリカでは「こちらがやらなければソヴェトほうはソヴェト圏の中で漸次原子力発電を伸ばしていくだろう。これに対応しなくてはならぬ」ということを言っている。

(「日本の原子力研究はどこまできたか」『掲載』一九五四年十一月号掲載)

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2013年8月24日 (土)

『ザ・フー:アメイジング・ジャーニー』

そのぶっこわすThe Whoのヒストリーをまとめた映画を見た。hulu ありがと。

実は、ピート・タウンゼントとロジャー・ダルトリーの馬面が好きじゃなくて、モンタレーの衝撃の後も、あまりのめりこむことなく聞いて来た感じなのだけど、ロックを聞き始めた頃は、丁度『トミー』の映画が公開されて、エルトン・ジョンの『ピンボールの魔術師』がヒットしたりしていた。少しして出た『Who Are You』は評判こそそこそこだったけど、一応現役ばりばりの感じではあった。ただ、小野洋子と別居中のジョン・レノン、リンゴ・スター、ニルソンなんかと飲み歩いているニュースは音楽雑誌にも出ていて、なんとなく破滅的な人生を送っているような感じだったキース・ムーンが78年に死んだ時には、もうバンドは解散すると思ったものだ。リズム音痴が言うことなので無視してもらえばいいのだけど、当時、僕の中ではキース・ムーンこそベスト・ロック・ドラマーで、次いでジョン・ボーナム、あとはいっしょみたいな感じだったのだ。代わりはいないんじゃないかと生意気にも思った。後に、ケニー・ジョーンズが加入してツアーを行っているのを知った時には、バンドがビジネスのために妥協したように思ったものだ。それからしばらくは関心ないままで、随分たって80年代になってから『Face Dances』を聞いたときには、そんなに悪くないじゃんと思ったりしたものの、それきりの感じ。実際、The Who自体、キース抜きではどうも盛り上がらない感じだったみたいなのは、このビデオでもわかる。ジミ・ヘンドリクスの演奏はリミッターを外した感じと書いたけど、キース・ムーンがまさにそうなのだ。でも、実はいちばんよく聞いたフーのアルバムは、ケニージョーンズがドラムを叩いている『Who’s Last』というライブだったりする。今調べたら、AMGの評価はよくないけど、こんなもの信用するな。これはThe Who入門としてもいいアルバムだと思う。

この映画は、2007年公開で、ベーシストのジョン・エントウィスルの死後の公開なので、彼の死後のこされた二人の絆がよりつよくなったみたいなところで終わるのだが、インタビューに答えるロジャー・ダルトリーがとてもいい顔をしている。ロバート・プラントは、若いときのきれいな顔からは想像もつかない人相になってしまったけど、ロジャーはなんだかとてもナチュラルな歳の取り方をしている気がする。The Whoの曲はほとんどピート・タウンゼントが書いているし、サウンドもピートのギターによるところが大きいと思うのだけど、ピート本人はどうも好きになれないのだが、実はギターのスタイルも曲もぜんぜん嫌いじゃなかったりする。でも一方で、どこか突き抜けた魅力みたいのは薄くて、そういえばフーもあったな、という感じの立ち位置にいるバンドだと思う。ビートルスみたいに強烈に耳に焼き付くメロディやコード進行とかとは無縁だけど、ギターのリフやバンド全体のバランスなんかは今のイギリスのバンドに結構おおきな影響与えている。というよりも、ビートルズやストーンズはもとよりレッド・ツェッペリンにもなれないバンドもザ・フーにはなれそうな気がする面がきっとあるはず。

アメリカの犯罪ドラマ、CSIのテーマ曲で使われたりしているように、今は、なんとなくアメリカの知識層にも受け入れやすい(元々、ピートの文学趣味もあるし)面があって、デッドもフーもなんとなくロックの「スピリット」のいけるところまでいった形として結局ジミヘンの言う体制に回収されるところまでいって終わった感じがある。ストーンズみたいに、自分自身が体制そのものみたいなバンドは例外だ。そう、これは終わったストーリーだ。懐古趣味のロックじじい以外にはあまり見られることもないだろう。でも、僕にとっては、イギリスの三大バンドのひとつ。あのロック・オペラは退屈だけど。もともとオペラ嫌いだし。ただ、ロック・ギター始めるならピートのコピーから始めるのが手っ取り早い。僕はやってないけど、これは確かだと思う。時代時代の演奏シーンも多い。ロックキッズは こういうのもたまには見てみたらいいと思う。


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2013年8月22日 (木)

『ジミ・ヘンドリクスかく語りき 1966-1970 インタビュー集』 スティーブン・ロビー 編著 安達眞弓 訳

中学生の頃、NHKで放送された「モンタレー・ポップ・フェスティバル」の記録映画でJimi Hendrixを最初に見た。夏休みで、土曜だったのではないかと思う。あのときのことは今でも鮮明に覚えている。印象に残ったのは、楽器も舞台セットもぶちこわして帰って行くThe Whoと、ギターに火をつけてぶっ壊すジミ・ヘンドリクスだ。検索してみると1975年の放送のようなので(ほんと、最近こういうのは便利)、1967年の開催から8年後になる。現在からみて8年前というと僕などはほとんど地続きな感じがしているけど、当時その記録フィルムはちょっと終わってしまったムーブメントの記録というように見たのではなかったかと思う。地続きな感覚は抱かなかった。1967年から1975年の間に何があったのか。

とくに、75年というのは60年代音楽の終着点みたいな年で、ヒッピー文化もサイケデリックも古くなり、Beatlesの4人は相変わらずヒットチャートをにぎわしていたけど、ブラック・ミュージックは耳障りがよくてディスコ向けの機械的なリズムを重視したものが流行し、ロックはQueen、Kiss、Bay City Rollersみたいなビジュアルを前面に出して売り出すバンドがはやるようになり、フォークも主張を引っ込めてDylanは『ディザイア』を出してローリング・サンダー・レビューを経て「ラスト・ワルツ」に出演した後低迷しはじめる。(「ラスト・ワルツ」は本当に象徴的なイベントで、もちろん、これはThe Bandのラスト・コンサートなのだが、近頃は、70年代前半までの音楽、そしてそれまでのボブ・ディランのお葬式パーティーのように思えて仕方ない。)それが、76年。Eaglesの『ホテル・カリフォルニア』も同じ年。イギリスでは、Sex Pistolsが75年、アメリカでもPatti Smithが75年、Ramonesが76年とパンク、ニューウェイブみたいなのがどんどん出てくるようになったのもこのへんが境。シンセサイザーの普及期がきてコンピューター・ミュージックが一般化し始めるのはこのすぐ後。ウッドストックやモンタレー・ポップ・フェスティバルに象徴される時代の音楽は、75-76年頃を境に急速に過去のものになっていったのだ。

ウッドストックのジミヘンを見たのは、しかし、79年頃だったのではないかと思う。まだ三鷹駅前にあった三鷹オスカーで三本立てで見たのはどこかで書いた記憶があるけど、ジミのパフォーマンスは今度はギターをぶっこわすわけではないけど、当時のアメリカの状況をそのまんま表現するかのようにギターにのたうつような叫び声を出させ、戦場を思わせる歪んだ爆音をストラトキャスターのアームとアンプのフィードバックを見事に使いこなして完璧に表現する。この曲はウッドストックだけで演奏されたわけではないようだけど、少なくともこのときのジミは神がかっている。そもそも調子のいいときのジミには神がかりというより人間のリミッターを外してしまったような凄まじを感じる。ドラッグの効果があるのかどうだかは分からないけど、そう、リミッターが外れている感じというのがいちばんぴったりくる。常時火事場の馬鹿力的なとんでもない演奏を聞かせてくれる音楽家はそんなにいるものではない。

モンタレーのパフォーマンスだって、別にぶっこわしているからすごいのではなくて、これはこの時のライブ音源を聞けば分かるけど、ギターをぶっこわして燃やしても「音楽」は何も聞こえないんだよね。それはあくまでパフォーマンスであって音楽ではない。でも、パフォーマンスには意味が無くて音楽がいいかどうかだなどということではもちろんない。それも含めて、ステージから感じられる緊迫感は鳥肌もので、ギタリストとしてだけではなく宗教じみた熱気、熱狂をもたらすことのできるグルのようでさえある。中学生の時、性的な暗示も感じさせるアクションや、まるでギターとセックスするかのような動きでアンプにからみつき、射精のようにライター・オイルをギターにふりかけ、火をつけたギターをふりまわしてたたき壊すジミは、それまでクラッシック音楽以外は、日本の歌謡曲やフォークソングみたいなものしか身の回りに無くて、やっとビートルズとロックに触れ始めたばかりの自分には十分に衝撃的だったし、今でもそのインパクトはぜんぜん衰えていないのだ。

前置きが長過ぎたかもしれない。本書は、ジミのデビューから死までのインタビュー集である。実は、それなりに期待して読み始めたのだが、少し期待外れで、正直、あまり面白くなかった。理由は、やはりギターの人だったというようなことではない。いや、確かにそういう面もある。しかし、ジミの書いた歌詞は悪くない。Bob Dylanへの敬意、他のミュージシャンへの評価などを読んでいると、意外に言葉の人でもあったことが分かるのだ。何よりも、あの「星条旗よ永遠なれ」が饒舌にジミの思想を語っているではないか。インタビューがつまらない理由の大半はインタビュアーにあると思う。少し驚くのだが、その多くが論文を書こうとしている院生とか学生だったりしているのだ。プロのインタビュアーだとしても、そもそもポップ音楽の流行をおいかける音楽誌のライターのインタビューで、最近注目のミュージシャンにインタビューにきたという類いのものだから、内容は元々おもしろいはずもない通り一遍のものになりがちだという側面がある。それに、そういう状況でジミが楽しんで前向きになんでも語ったとも思えない。読んでいて、明らかにジミがいらついていると思える場面に再三遭遇する。少なくともインタビューに答えているジミはまともだし、つまらない質問にがまんしてきつあうような理由もなく、必要最低限のコメントをするだけで、それほどサービスしていないということだと思う。アーカイブとしての意味はあるにせよ、読者は食い足りない気分にさせられるんじゃないか。ジミの本当の気持ちや考えが十分に現れているととらず、インタビューの状況を考えながら肉声がここにあるのかを疑いながら読むくらいで丁度いい。

それでも、何カ所か興味を引かれた箇所があったので書き留めておきたい。

まず、Jimi Hendrix Experience (JHE) のメンバー、ノエル・レディングとミッチ・ミッチェルについては、結構評価していたようで、バンド・メンバーなんだから当然ではあるにせよ、僕たちが今聞くと、ただのバックバンドにしか思えなかったりもするのだが、ジミの中では、異なる才能をもった三人が集まったバンドとして考えられていたということ(少なくとも、インタビュアーにはそう言っている)。バンド・オブ・ジプシーズでは、バディー・マイルス、エディー・コックスと黒人だけの構成になるのだが、JHEは混成で、そのため白人に魂を売って金儲けをしているといった批判が黒人のコミュニティからは随分あったらしい。JHEのデビュー時は、ジミは単身渡英してチャス・チャンドラーとオーディションしてメンバーを選んだみたいだけど、バンド・オブ・ジプシーズみたいな黒人だけのメンバー構成はマネージャーが嫌ったらしい。そういう時代だったのだ。もっとも、黒人の歌手とみるとラップやR&Bだと決めてかかるところは今でもあるからね。

関心をもっているミュージシャンでは、エリック・クラプトンはそれなりに評価している。何回か出て来るがあまりネガティブなことは語られていない。意外だったのは、僕も大好きなアルバート・コリンズを大推奨していること。ビートルズについては、才能があるすばらしいシンガーでソングライターだとしつつも、おそらく『ホワイト・アルバム』をさしてちょっと懐古趣味になりつつあると言っている。また、体制側にいるし、むしろとけ込もうとしているとも。Beatlesが音楽の教科書にのることはあっても、Jimiの『星条旗よ永遠なれ』は音楽の時間には聞かないだろうと思う。そういうことは、Jimiはよく分かっていたのだ。

ギターについては、やはりストラトキャスターが一ばん気に入っていると言っている。テレキャスターは、サウンドはいいか悪いかとちらかしかなく、音色のバリエーションが薄い、ギルドは繊細だけど最高の音がでる、ギブソンのニューモデルはひきこなせなかった、という感じ。フライングVだとか、Jimiもギブソンを弾いているけど、ストラトのイメージが強い。実際、ジミ以降、ストラトを弾く人が増えたと書かれているのを読んだ気もする。確かに、クラプトン、ベックとかもそうかも。あのSGのイメージ強かったザッパも最後はストラト弾いてたし。

ひとつ引用を。302ページ。

 ここに座っているだけだから、おれは忙しそうに見えないけど、忙しいって言うのはこういう場所でしっとしていることなんだよ。

こういうことが言える男の言うことは信じてもいいんだよ。

502ページ。

 そう、おれがエレキの宗教家と名乗ってきたのは、人間にとって大事なのはキリスト教じゃなく、音楽が信仰のよりどころだから。世界紛争の大半はキリスト教徒が起こしたものだ。おれの目の前に広がっているのは、あらゆる信念、あらゆる宗教の核心をすべて集めた普遍的な宗教なんだ。

ジミの発言には、「スピリチュアル」なものへの親近感があり、このまま歳を重ねていたら、本当に音楽教の教祖になったのではないかというぐらいマジなのだ。

508ページ。

 ヘンドリクスは超自然現象について饒舌に語ったのち、キリスト教に触れた。

「キリスト自身ではないとしても、彼の信義を支える人々がたくさんの戦争を起こしてきた。キリスト教が過去のものだという理由がそこにある。信仰とは自分の内面から見つけ出し、心安らかに生きて行くためにかけがえのないものだ。人はふつう、愛と平和のために生まれてくるものなのに、世間体を満たすためだけに社会生活で喪服を着せられている。」(略)「・・・おれの人生は音楽一色だ。音楽とは人生と感性がすべてだから、他の職業と同じように時間をかけて取り組まなければならない。プレイするたびに自分の魂の一部を犠牲にしている。(略)世界に気付きを与えたいんだ。音楽やサウンドの波が起きて伝わる波動は宇宙的な広がりがある。」

インタビューを締めくくっているのは、ジミの名言集なのだが、その最後は、ジミの最後に残した詩からだ。

「人生の物語はウインクするより短い。愛の物語はハローとグッドバイ。二人がもう一度会えるまで。」

巻末に、エリック・バードンとのインタビューが収録されている。ジミのやる気のないインタビューよりもむしろ心がこもっていて一読の価値はあると思う。

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