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2012年10月29日 (月)

『科学 2012/09』岩波書店

科学通信 『熟れたリンゴは落ちるか 有田正規』

最新号ではない。例の事件より先だって出た論文捏造に関するコラム記事である。

『背信の科学者たち(ブロード&ウェイド)』によれば、野口英世は査読なしに論文を出せる立場を悪用して捏造研究を行ったとされているというあまり広くは知られていない話から始まる。野口の研究の価値が近年ゆらいできているらしいことは何かで読んでいたけれど、捏造研究者とまでされているのは知らなかった。

つい最近話題となったiPS細胞の応用に関する研究での不正の問題で一番気になったのはまるで犯罪者を糾弾するかのようなメディアの取り上げ方である。論文捏造はほめられたことではないが、人間の思考過程や研究過程はまったく独自ということはありえない。あからさまに剽窃するのもデータを捏造するのも手間を惜しむからだ。学問の側からしたら裏切りだが、学者生活から見れば生活のためかもしれない。ビジネスでの範疇では、嘘とまではいえなくとも都合のいいデータや統計の見せ方を考えるのは常識である。だますわけではないが、都合の悪い情報を出し渋るのだ。もちろん、そのような意図的な強調や隠蔽は学問とは相容れない。ビジネスと学問は別のものだ。しかし、応用分野についてはいろいろと難しい問題があるのではないか。

筆者は、そうした捏造論文が後を絶たない状況に対して、研究者モラルや不正取り締まりのための第三者機関だのが論じられる状況に疑問を呈している。腐ったリンゴだけ取り除けばいいのかという理由だ。先の件でもそうだったが、共著者に名前をあげられた人々、指導教員などはなぜ知らんぷりをするのか、ひとたび明るみに出ると自分は関係ないと言うのか。逆に、明るみに出なければ、これらの人々は何も言うことなく論文の権威付けに手を貸したのだろうか。むしろそちらのほうが問題ではないのか。

だいたい論文は論文であり、それが正しいかどうかはすぐにはわからない。重要な発見ほど多くの検証にかかるし、応用研究なら実際に使い物になるのかどうかで真偽のほどは確実にわかる。そうした関心すらひかないようなものは、たぶん無視されて終わりだろう。もちろん、査読は論文の正しさを保証するわけではない。それは、あくまで時間経過とともに科学自身が明らかにするのだ。しかし、一応の完成度になっているかどうかを判定するのだけでも少しく手間がかかるのも事実だ。現実の問題として、論文に名前を連ねること自体は、よほどのことがない限り安易に許容されているのが実態なのではないか。すぐばれる嘘がなくならない理由は単純にそんなところにあるのではないだろうか。要するに、誰も詳しくはチェックしてないのだ。実際に、筆者はそうした傷んだリンゴはたくさん見かけるがその白黒判定に労力をさきたくないのが実情だと書く。みつからなければ、あるいは見逃してもらえれば、それは自分の論文として業績一覧にのせることができる。今年何本書きましたかと言われれば、その一本になりえる。もしそうだとすると、それはもう科学の仕事ではなくて、営業成績維持のために顧客訪問数を捏造する会社員と同じで、単なるビジネスにすぎない。

iPSの先生はそういう意味では、マスコミを巻き込んで派手に宣伝したのがまずかっただけで、あれをやらなければ見逃され黙殺されて終わりだったかもしれない。つまり、自分からカムアウトしたのも同然だ。むしろ、その気持ちの方が不可解なくらいだ。

では、なぜそんなリスクをおかしてまで捏造論文を書くのか。筆者は、高齢の学会ボスが仲間を集めてヒエラルキーを作るトップダウン研究が仲間意識を強め組織的な不正を助長していると述べる。日本が多くの猿山からなる社会なのは、属している人間にとっては周知の事実だ。学者だけではない。スポーツだって、ビジネスだって、芸能や芸術、文学だってないわけじゃない。それがどんだけだめなシステムなのかもまたみんなよくわかっているはずだ。しかし、あまりはっきり言う人はいない。これくらいはっきり言う人がもっと出てくるとよいと思う。

国際プロジェクトとしてのスパコン開発 牧野淳一郎

 

「二番じゃだめなのか」で有名になったスーパーコンピュータ「京」が二番になった。これは、そのことも含めて日本の大規模プロジェクトを動かす官民共同プロジェクトの課題点に踏み込んだエッセイである。あえて今回は内容には触れないが、一番じゃだめにきまっているだろうという素朴な議論を超える論点が十分提示されていて読後非常にすっきりした気分になる。あの馬鹿な事業仕分けにいらいらしていたものとしてはこれだけ「中の人」が政治家に対して説明してくれていれば、あんな猿芝居じみたキャンペーンで予算復活などというばからしい展開もなかったのではないかという気がする。牧野さんは、原発事故関連でのツイッターでの発言なども非常に妥当なものが多く頼りにしている一人だ。スパコン問題でもやもやしたところが残っている人は読んでみるといいと思う。

特集は、「偽りの原子力 “安全保障”」。これはまたあらためて。最近の『科学』は気合いが入っている。

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